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「体のやわらかさとか、次男は私の小さい頃にうりふたつ。
二人とも0歳7ヵ月からベビースイミングを始めてますけど、
水泳に関しては次男の方が向いてそうですね」

そう語る中西さんは現在、3人の男の子のお母さん。
末っ子はまだ昨年生まれたばかりで、日々子育てに全力投球だ。

自身はどんな少女だったのか?意外にも、スイマーとしての原点は記憶に乏しい。
「私も母の影響で0歳児の頃からスイミングに通っているんですよ。
記憶にあるのは年長さんくらいからですけど、気がついたら(小1で)選手コースに行ってて。
まあ、楽しかったんでしょうね」

泳ぐ才能には恵まれていた。地元関西では同学年相手に負けなし。
だが、小4で出場した初めての全国大会で衝撃を受ける。
知り合いが決勝に進出する中、中西さんは予選一回戦で敗退。鼻っ柱をへし折られた。

全国レベルの壁の高さに絶望し、水泳が嫌いになってもおかしくない。
だが、未来のオリンピアンは挫けなかった。より高い志を掲げて練習に突き進んでいく。
この時、進路を分けたものとはなんだったのか。
「基本、みんな負けず嫌いでやっていると思うんですけど、やっぱり泳ぐのが好きかどうか。
水泳は泳げば泳いだ分だけタイムが縮まっていく。それが私にとっては魅力的で。
もちろんうまく行かない時だってあるけど、なりたい自分があれば頑張れる。
コーチの言うことにすぐ反発せず、自分のためを思って言ってくれてるんやからと受け入れることも大事ですね。
素直さって本当に大切!新しい自分に変わる勇気を持ってほしいです」

小さい体のハンデを類い希なる柔軟性と努力でカバーし、アテネ五輪では銅メダルを獲得した。
その4年後の北京五輪では世界ランク1位で臨むも結果は同種目5位。引退を決めた。
何よりすごいと思うのは、競技人生に悔いなしと言い切れるところだ。
「アテネ五輪の後、一からフォームを作り直したり、ありとあらゆることを試しましたからね。
もうお腹いっぱい(笑)。満足。そう思って引退できたのは幸せでした」

過去の栄光にしがみつかず、前だけを見てつねに努力する。その姿勢は現役引退後も変わることがない。
「母親って本当に大変」という中西さんに、あの銅メダルの扱いについて訊ねると、
「今はもう子どもの遊び道具になってます」とにっこり微笑んだ。

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中西 悠子(なかにし ゆうこ、1981年4月24日)
大阪府池田市出身の元競泳選手。
現在は枚方スイミングスクールコーチ。

<戦績>
・短水路200mバタフライの元世界記録保持者
・200mバタフライ元日本記録保持者
・2004年:アテネ五輪バタフライ200m銅メダル

 


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