2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪への出場を逃すなど、バレーボール男子日本代表は長く低迷が続いている。そんな現状を打破するようにプロの世界へと歩みを進めたのが柳田将洋選手だ。

2017年7月にドイツ・ブンデスリーガ1部のTVインガーソール・ビュールとプロ契約を結ぶと、カップ戦決勝に日本人選手として初出場し、MVPを獲得。2018年はポーランド・プラスリーガのクプルム・ルビンへと移籍し、2度のMVPを獲得するなど、その活躍は日本バレーボール界に明るい兆しをもたらしている。プロ生活も3年目に突入しようとする今、柳田選手にプロのアスリートとしての思いを聞いた。

管理されるのか、管理するのか。日本と海外の大きな違い

「練習のスタイルや、午前と午後のバランスは違いますが、練習の強度自体は正直日本と変わらないと思うんですよ。それよりも選手ひとりひとりの意識や価値観が重要になるのが海外ならではかなと思います」

バレーボールに限らず、海外へと移籍したアスリートの多くがセルフマネジメントの重要性を語る。海外では個人に任される部分が多く、何をするのも自分次第。強くなりたいという確固たる意思をもって、人の目が届かないプライベートな部分でも自分を律することが必要になってくる。柳田選手もワンシーズン目でそれを痛感した。

柳田将洋選手

「管理されるのか、管理するのかというのが大きな違いだと思います。実業団時代は企業から食事も寮も用意されていたし、細かいところも全部サポートしてくれていました。僕ももっとこうしてほしいとか、今振り返るとちょっとワガママだったんじゃないかなと思うこともあったり(苦笑)。そんなことを言える環境がどれだけ恵まれていたかをすごく感じています。プロになって海外に出たら、すべてを自分でしなくてはいけないですから」

実業団時代とプロとではどれだけ生活が変わるのか。それぞれのある1日のスケジュールを教えてもらった。

実業団時代の起床は7時半。7時45分頃から朝食をとり、9時半から11時半頃まで午前練習をしたら昼食。15時半から18時頃まで午後練習をしたら、18時半には夕食をとり、あとは入浴や洗濯をして23時頃には就寝する。

プロとなった今は、同じような状況であれば、7時45分に起床、朝食を取り、9時半頃から11時半頃まで午前練習。昼食をとり、16時半から19時まで午後練習をし、23時半に就寝する。

一見、30分ほどの違いがあるだけで、スケジュールはほぼ同じに思える。けれども練習の合間に、買い物に行き、料理を作り、後片付けや洗濯、入浴をし、部屋を掃除して、翌日の準備まで整えなくてはならない。日々の練習をベストな状態で取り組むためには、質の高い食事やケアも必須。結果、自由な時間は圧倒的に少なくなり、生活のほとんどをバレーボールと向き合って過ごすことになる。

「プロ生活も2年目になったので、料理も少しは慣れました。だけど、栄養面も考慮してレパートリーを増やすというのは、なかなか難しいですね。冷凍したり、漬けておいたり、作り置きをしておいて、あとは食べるだけというパターンが多くなります。食べることもメンテナンスのひとつで、生活面で崩れるときは、食事からだと僕は思っているんです。だから予定が立て込んで、ご飯を作りたいけど時間がないというのが一番最悪です。そうならないように体調やコンディション面も含めて、すべて自分で日常を管理しなくてはいけない。これは思っていた以上に大変でした」

プロは、すべてのベクトルを自分に向ける

手厚いサポートのあった日本を離れたことで、今までいかに恵まれた環境にあったかを実感したものの、それはバレーボールと向き合いたいと考える柳田選手にとっては、必ずしもプラスではなかったようだ。

「実業団選手というのは、まずは企業の社員であって、その中でバレーボールをしているわけじゃないですか。そういう環境下では、バレーボール選手としてどうなりたいのかという思いが濃くなりにくかった。プロになって、バレーボールでしか生きていけない状況に自分を置くことで、目標が明確になったし、達成するためには何をするべきかというプロセスをどんどん作っていけるようになったと思います」

目標が明確だからこそ、求めることにも躊躇わなくなった。

和を尊ぶ、空気を読む、日本人が美徳としがちなことは、海外では時に成長の妨げになる。

柳田将洋選手

「海外では遠慮していると先には進めません。日本だとこうしてほしいなと思っても、どうにかしてくれるだろうということも多かったけれど、そういう察してほしいというのは一切通じません。海外に来て思ったのはすべてのベクトルを、まずは自分に向けることが大事ということ。

例えば〝こうしてほしいと思ったのに、やってくれなかった、思いどおりにならなかった〟ということって、バレーボールに限らず、少なからずあると思うんです。でもそれって人にベクトルを向けているんですよね。

だけど結局自分が言っていない、やっていないからそうなったわけじゃないですか。言いたくても、言わなかったら終わり。やってくれなかった人ではなく、すべてが言わなかった自分の責任で、良くない結果が残るだけなんです」

アームスリーブのプリントに込められた、若い世代への思い

自ら求めなければ助けは得られないが、全てがお膳立てをされていた実業団時代とは違い、「動いたぶんの情報や知識のすべてが自分のものになるんです」と柳田選手は少しうれしそうに語った。その言葉どおり、普段から情報収集も積極的に行っているようだ。なかでも重要なのが道具選びである。

「例えばどういう道具があるのか、知らない道具はないかのチェックは怠らないようにしています。ウエアや靴だけでなく、インソールやケアのアイテムなど、細かなひとつひとつも重視していますね。

道具が多ければいいというものではありませんが、日本のような細かなサポートを受けられないぶん、疲れを残さないという視点での選び方も大切です。プロになって今までよりもさらに身体が資本になったし、1日のうちのほとんどをバレーボールが占めているので、何を身につけるかで、パフォーマンスや練習後の疲労は大きく変わりますから」

その象徴とも言えるのが、アシックスと共同開発をしたアームスリーブだ。

これまで柳田選手は違うメーカーのアームスリーブを使用していたが、アシックスとスポンサー契約を結んだことをきっかけに開発に着手した。とはいえ、長年使い慣れた道具を変えるというのは、アスリートにとっては大きな決断だ。ほんのわずかなフィーリングの差で体の感覚が変わることもあり、ときにプレーを左右することにもなる。そのため今回、柳田選手は細かな部分にまでリクエストを出したという。

「アシックスの従来のアームスリーブは着圧を与えることをメインに設計されていて、生地も分厚かった。バレーボールにおいては、ボールのタッチ感がすごく重要で、正直今までのものはその感覚が掴みづらかったんです。まずはボールの感覚をしっかりと残したままプレーができることを第一に、その上で着圧という順番にしたいとリクエストしました。

また、以前着けていたものは、使っているうちにずれることが多かったんです。試合の集中力を阻害されることもあったので、ずれにくさも追求してもらいました。おかげで今では集中を途切らせることなく試合ができるようになりました。

少し細かいかな?と思う部分もありましたが、身に着けるうえで譲れない部分だったので、正直にお話しさせていただいて、結果的にはすごく満足のいくものになりました」

もうひとつ、プロであるからこそこだわった部分がある。それがレシーブを受ける際の目安になる前腕部にあしらわれたプリントだ。そこには若い世代の選手に向けての柳田選手からのメッセージが込められている。

柳田将洋選手
視覚的にレシーブポイントがわかりやすいプリントがあしらわれている

「レベルの高い選手からしたら、そんな初歩的なこと、と思われるかもしれません。でも若い選手は、初めて意識することかもしれないですよね。アシックスの製品はいろいろな世代やレベルの人たちが愛用している印象が強かったので、若い子たちがつける可能性を含めてデザインすることが必要なんじゃないかと思ったんです。

若い子たちにはたくさんの可能性があります。今回はレシーブで受けるべき位置をプリントしましたが、どんなことでも成長してから知識を得るよりも、できるだけ早い段階でいろいろなことを知っておいたほうがいいと思うんです。本当は僕が直接子どもたちに指導をできればいいんですけど、それは難しいですよね。

じゃあ、プロの選手がどういうことを考えてプレーしているのかを、アイテムを通して、フィードバックできないかと思い、このデザインに行き着きました。何年もプレーしている僕にとっても、初心に立ち返るという意味でプリントがあったほうがいいなと思っています」

少し先のゴールを徐々に遠くしていくことが、成長への近道

インタビュー中、柳田選手は「プロとして」という言葉を何度も口にした。プロとしてあるべき姿、プロとしての矜持を彼は強く意識している。

そもそも柳田選手がプロの道を志したのは、いち早くプロとして活躍していた先輩の酒井大祐氏の影響が大きかった。酒井氏が真摯にバレーボールに向き合う姿を見て、自分もよりシビアに競技に打ち込みたいと決断をした。先輩の姿に影響を受けた経験があったからこそ、柳田選手はプロとして、日本代表のキャプテンとして、次世代の選手たちに見られていることを常に意識して言動している。

「日本は大学を卒業したら企業に行って、社員として雇用され、実業団選手となります。海外はそもそも実業団という存在がなくて、みんなクラブチームと契約を結ぶプロ選手ばかりなんです。そのぶんハングリー精神が強いし、先輩や後輩というのもほとんどない実力社会。

今の僕が若い子に伝えたいのは、言いたいことを言える人間に成長してほしいということ。自分の意思を伝えるというのは、日本だと良くない捉え方をされることもあるかもしれない。でも、スポーツの世界はそれではいけないと僕は思うんです。遠慮していたら自分のためにならないのはもちろん、自分が伸びなければ、結果的にチームのためにもなりません。

海外のクラブには、大人になっても子どものようにまっすぐな選手がたくさんいて、そういう人が切磋琢磨して、研鑽し合っている。そうやって遠慮しない関係を築ける環境を作ることが、日本のバレーボールにとって良いことだと、プロになって強く感じています」

ヨーロッパへと渡り、道を切り開いていく柳田選手を見ていると、後を続く子どもたちにはさまざまな可能性があることを感じさせてくれる。

柳田将洋選手

「今思うのは、レールは自分で作っていくものだということ。プロになりたいのであれば、なぜプロになるのかをしっかりと考えて、目標を定めることが大切だと思います。ただ、子どもたちにはすごく先の未来ってイメージしづらいと思うので、あえてアドバイスをするとしたら、今の自分の少し先、少し先へとゴールを少しずつ遠くしていくことが、成長への近道だと思います」

2020年には開催国枠で東京五輪への出場が決定しているバレーボール日本男子。まもなく始まるW杯は、柳田選手たちが積み上げてきたプロセスがどこまで進んでいるかを確認するステージにもなる。

「リオ五輪で出場権を取れなかったのに、東京五輪には出場となって。もちろん東京はとても重要な大会なので、しっかりとやるけれど、そのあとのことも考えないといけない。次のパリ五輪は、東京での結果がどうであろうと、リオの時の悔しさをもって、チャレンジしていきたいと思っています。

僕は体が動く、動かないよりも、気持ちが動く、動かないで、やるかやらないか決めるタイプなので、気持ちが続く限りはコートに立ち続けることを目標にしたいし、その姿を見てもらうことで、若い世代が夢をもって競技をしてくれたらいいと思っています」

世界で自らを研ぎ澄ましてきた柳田選手が、世界を相手にいかに戦うのか。その勇姿を見守りたい。


柳田将洋
1992年7月6日生まれ。
東洋高等学校在学中の2010年3月 第41回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会に主将として出場し優勝を果たし、2011年慶応義塾大学へ進学。2013年に全日本メンバーに登録され、2014年10月、Ⅴプレミアリーグ・サントリーサンバ―ズに入団。2015/2016シーズンレギュラーラウンドでは、最優秀新人賞に輝いた。2017年4月サントリーサンバ―ズを退団し、プロ転向を発表。2017年5月にプロバレーボール選手として、ドイツ・Volleyball Bisons Bühl(バレーボール・バイソン・ビュール)と契約締結。

TEXT:Junko Hayashida(MO'O)

PHOTO:Takahiro Maruo(TRIBUS)