これまではトップアスリートやシリアスランナーのためのものというイメージが強かった低酸素環境下トレーニング(以下、低酸素トレーニング)。けれども最近では研究が進み、生活習慣病やダイエットにも効果があることがわかり、その活用法に注目が集まってきている。そこでここ数年で得られた研究結果から、今後期待される分野や低酸素トレーニングの未来などを、立命館大学スポーツ健康科学部の後藤 一成教授とアシックス・スポーツコンプレックス株式会社 代表取締役社長の松田卓巳に聞いた。

低酸素トレーニングは、マラソン選手のものだけではない。

低酸素トレーニングの活用に関する研究をしている立命館大学スポーツ健康科学部の後藤一成教授。

――そもそも低酸素トレーニングとはどんなものなんでしょう?

後藤 低酸素トレーニングは、登山家やマラソン選手がよく行っている「高地トレーニング」がもとになって生まれたものです。標高が高く空気の薄い場所に行くと、おのずと酸素の量も減ります。このような環境でトレーニングをすると、身体がより多くの酸素を取り込もうと最大酸素摂取量が増えて、持久力の強化につながります。そのため、マラソン選手などが積極的に取り入れているトレーニング方法として紹介されることが多いのです。ただ、高地では酸素だけでなく、気圧も下がるので、体への負担が大きいのがデメリットでした。その点、低酸素ルームであれば、気圧はそのままに酸素の濃度だけを下げることができますから、身体への負担は少なく強度の高いトレーニングを積むことができ、効率よく鍛えることができるというわけです。これが低酸素トレーニングの仕組みです。

松田 気圧も酸素も低いと独特の締め付け感を感じ、身体の負荷が大きくなりますが、常圧であれば体への負担は少ないので、一般の方にも取り入れやすいと言われています。

後藤 一般の方が高地まで行くのは大変ですから、常圧で低酸素な環境を作ることができる低酸素トレーニングのほうが、利用価値・汎用性・安全性が高いと言えるのではないでしょうか。

松田 最近は「いろいろなトレーニングを試してみたい」というスポーツに対して高い意識を持つ方が増えてきたのか、都市部には小規模ではありますが、低酸素トレーニングを行える施設がどんどん増えてきています。

後藤 おっしゃる通りです。市民ランナーの方のなかにもベストタイムを更新するために、低酸素ルームを使って効率的にトレーニングをしたいという方が増えています。そして、実は2013年以降の研究で、球技の選手や陸上の短距離選手でも低酸素トレーニングによる効果があることがわかってきたんです。今では長距離種目だけでなく、さまざまな競技の選手が低酸素トレーニングを取り入れています。これは2000年以前では誰も想像していないことでした。最近はラグビー、テニス、ラクロスやフィールドホッケーなど、さまざまな競技のアスリートを対象にした研究が行われており、それぞれの研究で非常にクリアな結果が出ています。

低酸素トレーニングには、ダイエットや健康増進の効果も。

立命館大学の学内に設置された「低酸素実験室」でのトレーニング風景。

――スポーツのパフォーマンス以外にもメリットはありますか?

後藤 まず低酸素の中で運動をしますと、筋肉中のグリコーゲンが積極的に使われます。それが一つの刺激となって、筋⾁内のグリコーゲン量の増加が引き起こされます。また、同時に、運動時のエネルギーを生成する筋肉中のミトコンドリアが増えることで、脂肪の燃焼能力も向上します。通常の環境でトレーニングをするよりも低酸素下では糖の代謝が高まるために、血糖値が高い方への効果も期待されています。海外では2型糖尿病の患者に対して、低酸素下で自転車をこいでもらうなど、臨床応用の一歩手前の研究まで行われているんですよ。また低酸素には血管を拡張させる作用がありますので、血圧を下げたり、血管をやわらかくしたりする効果も期待できます。

――脂肪燃焼効果が高まるということは、ダイエットにも良いということですか?

後藤 そうですね。理由はいくつかありますが、ひとつには低酸素下での運動中は普段よりも糖を多く使い、運動後は脂肪を多く使うようになるということ。もうひとつ最近わかってきたのが、いつもより食欲が減るということです。食欲を増進させるグレリンというホルモンがあるのですが、低酸素の環境下で運動をすると、このホルモンが大きく減って、その後の食事量が実際に減ることが研究で明らかにされています。

松田 ということは、ダイエット目的であれば、朝、低酸素トレーニングをすれば1日食欲が抑えられますね。

後藤 さらに朝の運動は脂肪の燃焼も高めますので、出勤前に低酸素トレーニングをするのはベストですね。

低酸素トレーニングの良さを、多くの人に知ってもらうために。

後藤先生いわく「この規模の施設は世界的に見ても珍しい」という豊洲の低酸素トレーニングジム「アシックス・スポーツコンプレックス TOKYO BAY」。立命館大学とアシックスによる低酸素トレーニング研究の場としても活用していくという。

――良いことづくめな気がしますが、気をつけたほうがいいことはありますか?

後藤 通常の空気中に含まれる酸素は20.9%ですが、低酸素トレーニングの場合は15~17%の酸素濃度で行われます。これは研究者の間では中程度の酸素濃度と位置づけられており、この範囲であれば、代謝の改善や脂肪量の減少、体力の増強などを期待できます。低酸素になると血液中の酸素レベルが少なくなるのですが、これはパルスオキシメーターという指に挟んで使う機械を用いて、血中の酸素飽和度を測定することで評価が可能です。この値が下がっていれば、酸素の少ない血液が筋肉に供給されて、代謝的な反応のスイッチが入っているということになります。逆に酸素飽和度がある閾値以下まで下がらないと、低酸素の効果は期待できないということになります。適切な酸素レベルにするというのはひとつのポイントだと思います。ただし、酸素濃度を極端に下げすぎると体への負担が非常に大きくなってしまいます。

低酸素トレーニング時は「パルスオキシメーター」を指に挟み、血中の酸素飽和度を測定する。

松田 これは個人差なんでしょうか?

後藤 アスリートでも酸素に対する感受性が鋭敏な方もいれば、逆に鈍化する方もいるので、個人差はありますね。この分野の研究はまだ十分に進んでおらず、男女差や年代差で変わる可能性もあると考えられていて、今後研究が進むでしょう。ただ、普段から低酸素トレーニングを取り入れているアスリートは、身体が低酸素に順化していますので、強い刺激を与えるために酸素濃度を下げるというのは戦略としては考えられます。いずれにしても専門のトレーナーによるアドバイスのもとで、運動前や運動途中、運動後などに体内の酸素量をきちんとチェックすることが大事です。

松田 そういう研究が行えるよう、アシックスは今年10月、豊洲に低酸素トレーニングジムを開業します。25mプールが3レーン、50mプールが4レーンあって、それぞれ酸素濃度を変えられることができます。また、ヨガなどが行えるスタジオやマシンの揃ったトレーニングルーム、新国立競技場と同じサーフェイスの50mのランニングレーン、アジリティトレーニングなどが行える人工芝のエリアがあって、さまざまなトレーニングを低酸素で行うことができるんです。

後藤 この話を最初に聞いたときは耳を疑いました。私たちが実現は難しいだろうと思いながら、夢物語のように語っていた施設にほぼ近かったものですから…。これまでの規模の施設は、少なくとも国内にはありませんし、世界的にも珍しいと思います。

松田 部屋自体がすべて低酸素になるというのは画期的だと自信を持っています。

後藤 水泳などを低酸素の環境下で行うことで、どういった有益な効果がみられるのかは、十分に明らかにされていません。陸上競技のトレーニングに関しても、今までは酸素濃度を下げた狭い低酸素室内で行なっていたので、実施できるトレーニング内容には限界がありました。この点で、今回の新施設のような低酸素環境下で通常屋外で実施するようなダッシュやジャンプを盛り込んだ練習を実施した時に、どのような効果が得られるのかは大変気になりますね。世界が驚く、先進的な研究成果が出てくるのではないかと期待をしています。

忙しい現代人にこそ、低酸素トレーニングを取り入れてみて欲しい。

「トップアスリートも一般の方も同じ環境でトレーニングができるような場を作りたい」と、豊洲で開業される低酸素トレーニングジムへの想いを語る松田 卓巳氏。

松田 低酸素トレーニングというとハードルが高く聞こえますが、短時間で効果的なトレーニングが行えるトレーニング方法ということなんです。だから、忙しくてトレーニングをする時間がないというビジネスパーソンの方におすすめしたいですね。

後藤 例えば普段トレッドミルで時速12kmで走っている方は、低酸素下なら時速10kmでも、いつもよりも大きな負荷がかかります。強度を下げることができるので、怪我の予防が期待できるというメリットもあります。効果をしっかりと出すなら、週に2~3回行うといいでしょう。

松田 基本的には一般のお客様に自由に使っていただく施設になりますが、低酸素環境下でのトレーニングについてしっかりと研修を積んだスタッフやトレーナーも常駐しています。

後藤 今、欧米では高強度で短時間のトレーニングが忙しいビジネスパーソンを中心に流行っており、低酸素トレーニングはその代表例となっています。また、これだけの施設だと多くのアスリートも使いたがるでしょう。

松田 そうですね。すでにご興味を持っていただいているチームもあります。われわれとしては、トレーニングに専念できるアスリートのためのトレーニングルームも用意はしていますが、できればトップアスリートも一般のお客様も一緒にトレーニングできる環境だといいなと思っているんです。トップアスリートの動きや音の響きって、実際に目にするとものすごいんですよね。アスリートの練習風景は一般の方のトレーニングへの刺激になると思いますし、アスリートの方も見てくれる人、応援してくれる人たちがいることがモチベーションになるのではないかと思っています。

後藤 これはやはり一度体験してもらいたいですね。低酸素下での運動と聞くと苦しいんじゃないかとか、心配される方も多いんですが、通常の環境下とほとんど違いがわからないという方も多くいらっしゃいます。実際にやってみると感覚は全然変わらないけれど、体の中では確実にいつもと違う生理的反応が起きているのです。

松田 多くの方にこの良さを知ってもらうため、まずは体験会をたくさんやろうと思っています。

後藤 良いですね。大学でもオープンキャンパスで生徒や親御さんに低酸素ルームを案内するんですが、その前室で「どうですか?わかりますか?」と聞くと10人中1~2人は「ちょっと苦しい気がします」っておっしゃります。実は、前室は低酸素にしていないのですけどね(笑)

松田 ははは、気持ちの問題なんですね(笑)

後藤 敷居が高いと感じてしまいがちですが、実際に行うとそれぐらいの体感であって、何ら特別なものではないんですよ。

松田 今回、施設を作るにあたり、いろいろリサーチをしたのですが「低酸素トレーニングをした後は寝つきが良くなる」という人が多かったんです。今後、詳しい研究が必要ですが、夜に来ていただいて、ヨガやストレッチなど、リラックスできるような運動をして帰ってもらうというプログラムなども用意して、低酸素トレーニングをしたことがない人にも気軽に取り入れてもらえないかと考えています。

後藤 低酸素下のヨガというのは、世界中の論文検索をしても1件も出てきませんから画期的ですね。これだけの施設があれば研究できることが他にもたくさんあると思います。今後、この施設から世界にいろいろなことが発信されていくでしょうね。

松田 まさしくそれを目指しているんです。オープンした直後が一番新しいのではなく、常に新しいものが入ってきて、それを発信できるような施設にできたらいいなと思っています。

後藤 低酸素トレーニングのメリットが解明されて、さらに多くの人に取り入れてもらえたら嬉しいですね。

 

アシックス・スポーツコンプレックス TOKYO BAY 

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後藤 一成(写真左)
立命館大学スポーツ健康科学部教授。スポーツ競技力向上および健康増進を目的とした運動(トレーニング)、休養(リカバリー)、食事(ニュートリション)方法に関する研究を行う。低酸素トレーニングについては、アスリートの競技力向上の視点はもちろん、一般の人の健康づくりの視点でどのような効果があるのか研究を行っている。

松田 卓巳(写真右)
アシックス・スポーツコンプレックス株式会社 代表取締役社長、株式会社アシックス スポーツコンテンツデザイン部部長。今回のアシックス・スポーツコンプレックスTOKYO BAYの設立準備とともに、アシックス独自の新たなスポーツコンテンツ・サービスの開業および事業化を担当。

Photo:Manami Tazuke
TEXT:Junko Hayashida(MO'O)

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