からだに取り付けたセンサーによって読み取られたデータは、本人も自覚していない動作のメカニズムや、ちょっとしたクセを明示してくれる。そうしたテクノロジーは(ウエアラブルデバイスを筆頭に)今後より一層進化を果たし、取得されたビッグデータは、パフォーマンス向上から健康維持まで、価値ある示唆を多々与えてくれることだろう。

 

とりわけトップアスリートは、こうしたサイエンティフィックな取り組みから多くのフィードバックを得て、自身のパフォーマンス向上に役立てている。しかしその一方で、個々のトップアスリートが持つ鋭敏な感覚を数値化、言語化、一般化することは、いまだ困難を極めることも事実だ。

 

科学的なエビデンスと、直感的なフィーリング。トップアスリートのパフォーマンスを支えるギアを開発する上では、この相反する要素を“重ね描き”することが極めて重要になってくる。アシックスにおいてその重責を担っているのが、カスタム生産部のアスリート・カスタムチームにほかならない。メンバーの一人である田﨑公也に、その活動内容について尋ねた。

Kimiya Tasaki

田﨑公也 | Kimiya Tasaki

1970年鳥取県生まれ。立命館大学経済学部卒業後アシックス入社。プロモーション部(バスケットボール担当)、東北支社アスレエリア販促担当(専任)、東北支社アスレシューズ営業を経て、グローバルフットウエア生産統括部 カスタム生産部に配属。現在、アスリート・カスタムチーム カスタムメイドスペシャリスト。好きなスポーツは陸上競技。

シューズマニアがたどり着いた天職!?

田﨑 カスタム生産部とは、市販品ではなく、選手のパフォーマンスを上げることに特化したシューズの作製を行う部署です。なかでも私の所属するアスリート・カスタムチームは、選手との密なコミュニケーションと、定期的な足形計測や下肢のアライメント計測、走行テストなどを通じて、選手個々に最適化されたシューズの“最初のかたち”を生み出していくセクションになります。それを生産現場に落とし込み、完成に向けてもの作りを指示していく立場でもあります。

私自身は陸上競技とトライアスロンを担当しており、年間を通して選手とコミュニケーションを取っています。

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測定した選手の足形を元に微妙なサイジングを施したシューズを、職人たちが丁寧に仕上げていく。上の写真は、ソールとアッパーを接着している様子。

 

——ちなみに、田﨑さんご自身はアスリートだったのですか?

 

田﨑 高校〜大学と、陸上競技のやり投をしていました。西日本地区や関西地区のインカレで8位程度のレベルです。ただ、実際に競技をやっていたことで、選手の悩みも、聞いているとおおよそわかることは確かです。動作のメカニズムもおおよそわかるので、選手の直感的なもの言いから推察して、一緒に最適解を考えられるというか。その点は、競技経験者であることが生かされていると思います。

 

もうひとつ個人的なことを言えば、元々スポーツシューズが大好きで、中学生のころからアシックスのカタログを愛読書のひとつとしてなめるように見てきたので、1980年代前半から、だいたいのシューズの特性が頭に入っているという自負はあります(笑)。

 

——マニアだったのですね(笑)。その田崎さんが、オリンピック出場選手のシューズに携わるようになったのはいつのことでしょうか?

 

田﨑 北京 2008 オリンピック時に担当した、福島千里選手が最初です。実は北京 2008 オリンピックまでは、市販品をベースにどうカスタマイズしていくか、という対応だったのですが、ロンドン 2012 オリンピックへの取り組みを機に、アシックススポーツ工学研究所(ISS)との協業で、市販品にはないシューズをゼロベースでカスタマイズしていくこともできる体制に変わりました。

 

その結果、ロンドン 2012 オリンピック時にはカーボンソールが生まれ、リオデジャネイロ 2016 オリンピック時には、HL-0メッシュと呼ばれるポリエステル繊維に弾力性の高い繊維を織り込んだ軽量のアッパーが生まれました。そうした新しいテクノロジーを、選手それぞれの足にフィットしたシューズへと落とし込んでいくのが私たちの仕事です。

 

選手それぞれには個性があり、足に合った剛性もそれぞれ異なります。速く走る、という最終目標はどの選手にも共通ですが、たとえば桐生祥秀選手だったら足さばきを重視した設計が必要ですし、福島選手だったら、スタートダッシュをサポートするために前足部をフレキシビリティのある素材にしたり、フランスのクリストフ・ルメートル選手だったら、からだが大きいので軽さはそこまで求めず、よりフィッティングを追求したりと、選手の走りや体型の特徴をふまえて、微妙にシューズを調整していくことがこのレベルの選手たちには必要になってきます。

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東京 2020 オリンピックのマラソン代表選考会への出場権獲得につながる「グランドチャンピオンシップシリーズ」の初戦となった北海道マラソンで、見事優勝を果たした前田穂南選手の足形。

選手の感覚を見誤る怖さは常にある

——たとえば選手のフィーリング、ご自身の知見、定量的なデータ。カスタマイズするときに最も大事にするのは、どういった要素でしょうか?

 

田﨑 その3つが、1:1:1ではないかと思います。当然、選手の感覚は非常に重要です。私たちが「これはすごく機能がいい」「こんなにエビデンスがある」と言っても、選手が「ダメ」と言ったらダメなシューズになってしまうこともあります。エビデンス的に「これはどうなの?」と思っても、選手がいいと言ったらそれが最適なわけですから。

 

だとしたら、その「いい」という感覚の正体がどこに起因しているのかを深く考察し、私たちなりに答えを出し、その答えをシューズに搭載していくことが重要になってきます。そこには、これまでに積み重ねてきた知見が役に立っているはずです。

 

さらに、創業時から先人たちが培ってきた知見と最新の研究結果を融合することで、ようやく、選手のためのカスタムシューズができるんです。

 

——選手の感覚をもの作りに落とし込んだ結果、必ずしも「正解」が出るわけではないかと思いますが……。

 

田﨑 その通りです。だから、いつも怖いですよ。私たちが理解した“選手の感覚”は、本当に合っているのかなと。合っていれば、渡した瞬間に笑顔ですぐ履いてくれるのですが、ダメなときは本当にダメで、そのまま置いてプイッと行ってしまいますからね。それは私も経験しています。

 

 

——ちなみに、1年間にどれくらいの選手がカスタム生産部を訪れ、定期計測やコンディションチェックをふまえたシューズのチューニングを行っているのでしょうか?

 

田﨑 年間3回程度のペースで定期的に訪問計測する選手、シーズンオフに年に1回だけ訪問する選手とさまざまですが、カスタム生産部に来ていただいていろいろな計測やヒアリングを行ない、その時々に合ったシューズの調整を行なっています。 

 

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シューズの中敷も、足形に合わせてカスタマイズ。手作業で丁寧に仕上げる。

 

 

——これまでに対応した選手で、印象的だったエピソードはありますか? 田﨑さんご自身が経験したことでも、ほかの方から聞いたエピソードでも構いません。

 

田﨑 2つほどご紹介したいと思います。まず1つめは、福島千里選手へのスパイク作りです。ある意味私の仕事の原点かもしれません。

 

北京 2008 オリンピックの年になるのですが、福島選手がシーズン当初から履いていた市販品ベースのスパイクが、彼女の走りの感覚にイマイチ合わないので、オリンピックまでになんとかしてほしいとの依頼を受けて、彼女の走りを自分なりに徹底的に分析し、短期間でカスタマイズしたスパイクを作製しました。

 

直接手渡してその場で履いてもらったのですが、スパイクを履いた瞬間にまるで羽根が生えたかのように満面の笑顔で走り出したことを覚えています。それからの福島選手の活躍は周知の通り。北京 2008 オリンピック後も彼女との定期的にコミュニケーションを図り、その都度スパイクのカスタマイズをブラッシュアップして今に至っています。

 

2つめは、桐生祥秀選手へのスパイク作りです。桐生選手とは、彼が高校2年生のときに足形計測してスパイクを作製したのが始まりです。彼はその年の秋に高校新記録を出し、翌年春には10秒01の日本歴代2位・ジュニア世界最高記録を出して一躍時の人となりました。

 

それ以降、定期的にカスタム生産部・アシックススポーツ工学研究所(ISS)に来訪して色々な計測や走行テストを繰り返し、彼の走りの感覚、とりわけ接地感や脚の回転にこだわったスパイク作りを、ISSや開発・技術、スポーツマーケなどの関連部署メンバーと協力し合い、試行錯誤を繰り返して“最高の1足”を作るようにしています。桐生選手の場合は誰よりも感覚が鋭く、一見同じに見えるスパイクでも足を入れた瞬間に良い悪いがすぐにわかってしまい、作り手としても彼が納得してスパイクを手にするまで気が抜けません。まさに“真剣勝負”です。

 

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カスタム生産部には、「素材の裁断→縫製→接着→最終調整」といった、シューズを製造する一連の(そして一流の)環境とスタッフが揃っている。

シューズの未来はカスタマイズにある!?

——最後に、「スポーツシューズの未来」について、お考えを聞かせてください。

 

田﨑 スポーツシューズは、今後、もっともっとパーソナライズされていくと思います。たとえばいま、市販品のシューズというのは一部を除いてサイズが0.5㎝ピッチですが、それが0.25cmピッチに変わっていくかもしれないし、左右別サイズで作ることが当たり前になるかもしれない。だとすると、私たちカスタムチームは、その指針になるようなもの作りを先行してやっていることにもなるわけです。

 

選手に特化した靴作りの知見を、今後は一般の人向けに落とし込み、多くの人がスポーツを楽しめる、さらにはパフォーマンスを上げるようなシューズ作りへとつなげていく。そのためには、2020年の先を見据えることが大切だと思います。驚くようなイノベーションに向け、次の世代にバトンを渡すきっかけを2020年に作っていく。それが、私たちの仕事だと考えています。

 

※アシックスは、東京 2020 オリンピック ゴールドパートナー(スポーツ用品)です。

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Text by Tomonari Cotani         Photo : Koutarou Washizaki

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