本記事は、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大を受け、東京マラソン2020がエリート選手のみでの実施と発表される前に、取材されたものです。

河合純一さんは、かつて多くの国際大会で活躍した全盲の元競泳選手だ。2020年夏の一大スポーツイベントを前に、彼は初めてのフルマラソンとして東京マラソンにチャレンジすることを決めた。

「いつか走ってみたいと思っていた」という河合さん。全く経験がないマラソンになぜ挑戦するのか。このチャレンジを通して何を伝えようとしているのか。いま、東京マラソンを走る意味と想いを聞いた。

“走るなら、2020年の東京で” 20年来の夢をかなえる時

インタビューの朝、河合さんは皇居で約1時間のランニングを走り終えたその足でインタビュー場所にやってきた。ランニング初心者の練習後とは思えないほど、まるで疲れが見えない。調子はどうかとたずねると、弾んだ声で答えてくれた。

「先週、初めて30km走をしたんですよね。だいぶ疲れは取れていると思うんですが、まだ少し体が重いですね。でも、初めてのことなのでどういう状態が調子が良いと言うかどうかもわかっていなくて、まわりの人が言うことを信じながらやっています。手探りですよ」

河合さんと小谷 浩コーチ
河合さんの東京マラソン出走にあたりトレーニングメニュー作りを担当した小谷 浩コーチと。元のメニューに30km走はなかったそうで、当初の予定よりもずっと多く練習しているという。

河合さんがマラソンに興味を持ったのは20歳くらいの頃。「一生に一度はフルマラソンを走ってみたい」と思っていたという。競泳をしていた頃も37歳で引退した後も、その想いは密かに抱いていたが、なかなか機会がなかった。しかし、2016年に開催された東京マラソンEXPOのトークセッションに登壇した際「いつかは東京マラソンを走ってみたい」と、初めて公の場で口にした。ならば、いつ走るのか。そう考えるとやはり、最も記憶にも思い出にも残るのは、後にも先にも2020年だろう。そうして東京マラソン2020への出走を決心した。

できるかできないかじゃなく、やるかやらないか

競泳とマラソンはまるで違うスポーツだ。水中と陸上という明らかな違いがあるわけだから、いくら元アスリートと言っても、決して容易でないことは素人にもわかる。

「水生生物のような生活をしていた僕でも、ちゃんと計画を立てて練習をすれば、マラソンでもできることがある。難しいなと思ったことも、多くの皆さんの力でたどり着けるんだと言うことを、東京マラソンへの挑戦を通じて人々に知ってもらえたら良いなと思っています」

水と陸、水泳とマラソン。異なる競技であることに加え、視覚障がいのある河合さんの初めてのフルマラソンは自身にとっても大きな挑戦なのだ。

笑う河合さん
「決まってしまえば、やるしかないじゃないですか」そう言いながら笑う河合さんは、挑戦することを楽しんでいるようだ。

誰しも、いつかいつかと思っていても、立ちはだかる壁が高いとすぐには行動に移せないものだ。彼の実現する力は、スポーツ以外の面でも垣間見える。河合さんは、元パラアスリートとしての顔だけでなく、日本で初めてとなる全盲の教師だった経歴もある。シドニー大会の時は現役の教員だった。なんと10歳の頃からすでに教師になりたいという夢を持っていたという。15歳で失明した後に彼はその夢を実現したのだ。その原動力は一体どこにあったのだろうか。

「なりたいっていう気持ちが強いかどうかじゃないですかね。できるかできないかじゃなくて、やるかやらないかだと思うんです。“自分がなりたいから、なるんだ!”と思ってやっていくのか、“いつかなれたら良いなぁ”と思っているかの違いなんです」

そして、教師を目指した経験をマラソンへの挑戦に重ね合わせて語ってくれたなかに、ヒントが見えてきた。

「20年くらい前“いつかフルマラソンを走りたい”と思っていたけれど、その目標セッティングの仕方ではダメなんです。“(2020年が節目だから)今年やりたいんだ!”と想うからこそ、“夢”にプラスアルファの“意思”が働く。“いつか”ではなく、“いつまでにこうなる”という明確な意思が必要だと思うんです」

元競泳選手としてのマラソン、視覚障がい者にとってのマラソン

「何をするにしても初めては面白いですが、良し悪しの評価軸を持っていないですからね。一度やってみないと、次の目標は見えてこないですよね」という河合さん、もしかすると東京マラソンはあくまで挑戦の始まりなのかもしれない。

視覚障がいのクラスで競泳をやってきたアスリートである河合さんだから、心肺機能や身体の使い方はうまいに違いない。しかし、ランニングとなればどうか。

「水泳は地面に対してうつぶせか仰向けで、さらに浮力もありますから、重力を感じるということは基本的にありません。ですが、ランニングは、足・腰・膝に重力を感じ、足首に自分の体重の何倍も衝撃を受け続けるので、そういう部分は慣れていないんですよね」

視覚障がい者としてのマラソンはどうだろうか。水泳はプールに行けばレーンがあり、約2mの幅と25mあるいは50mのコースがある。そのなかであれば、慣れれば止まらずにずっと泳げるそうだが、マラソンとなれば、練習も本番も街中を走ることになる。

「水泳とマラソンの違いは、外を走る時に絶対に一人で走れないということですね。トレッドミルならできるかもしれないけど、マラソンはそうはいかない。伴走者と一緒に走ります」

伴走者と走ることも初めてだ。2人を繋ぐのは1本の紐。

「常に試行錯誤ですね。ロープをずっと右側で持っていると疲れてしまうので、最近は5km毎に左右を変えています。ロープの長さを調整したりもしています」

伴走者は、仕事をしている一般ランナーによるボランティアで、3人のランナーがローテーションで練習に来てくれるという。伴走者についても、長い距離を走る時には前半と後半で交代してもらうなど工夫をしながら最適解を見つけるべく奮闘している。

ランニングで変化した朝型生活

ランニングで変化した朝型生活

具体的なトレーニングは、アシックスのランニングコーチがメニューを組み、それをこなしていく日々。期間は約3ヶ月。練習は週に3回。河合さんのトレーニングメニューを作った小谷 浩コーチによると「アスリートなので、やり過ぎてしまうかもしれない。ケガをすると元も子もないので、それを一番意識してメニューを考えた」とのこと。練習日と休足日が交互に入っており、週末のどちらか1日で少し長い距離を走るというプランだ。最初は5kmから始まったランニングも、昨年末には15km走れるようになり、1月には20km 、ついには約2ヶ月で30kmまで走れるようになった。さすが元アスリートですよね、とその熱心ぶりにコーチも唸る。ランニングをするようになり、生活も次第に変わってきた。

「最初は夜に走っていたんですが、仕事やプライベートの予定が入ることも多いので、1月から朝ランに変えました。7時から走って8時半には終えて、シャワーを浴びて出勤するんです。シャワーを浴びた後はすっきり清々しくていいですね」

さらに、朝走ることは河合さんと一緒に走る伴走者にとっても良い面があったという。

「皇居周辺は木の根が張り出していたり路面が平らでなかったりするので、伴走の方は明るい方が周囲をよく見渡せて指示しやすいらしいんです。夜よりも空いていて人も少ないし、安全面も考えると朝にしてよかったとポジティブに捉えています」

マラソン挑戦を支える足元は、GLIDERIDE

河合さんが選んだのはGLIDERIDE。「ラクに走れる」ということをコンセプトに作られており、走行効率性とクッション性に優れているのが特徴。

ランニングシューズを履くとことも、初めてだったという。どんなシューズを履けば良いのかもわからない。ASICS RUN TOKYO MARUNOUCHIで測定を行い、コーチに勧められたシューズで練習を始めた。水泳経験によるものなのか、足首周りがやわらかい河合さん。しかし、ランニングではそれがブレにつながり不安定さを生む可能性もある。そこで、安定感のあるシューズを2種類、サイズ違いを練習で試し、最も合うものを探し出した。

「GLIDERIDEを履いています。自分には合っている感じがします。足が自然と前に進むような不思議な感覚があって、走りやすいんです。クッション性もあり、安定感があります。コーチの助言で自分に合ったサイズもわかりました。走りはじめて2ヶ月経ってようやくしっくりくるサイズとシューズに出会うことができました」

スポーツをもっと楽しくて身近なものに

スポーツをもっと楽しくて身近なものに

世界を目指し、トップを目指す競技の世界でずっとスポーツに関わってきた河合さんに、スポーツの力を感じたことは?と聞いてみたら、「難しく考える必要は全くないと思う」という意外な答えが返ってきた。

「長く競技の世界でスポーツをしてきましたが、違う種目や競技を遊びでやってみると、楽しかったり、新しい出会いがあったりしたんですよね。スポーツは、楽しくないと続きません。遊びと捉えれば、今日は疲れたからやめたいなと思う日があればやめても良い。どんなスポーツや運動でもいいから、身体を動かすことが多くの人にとって、もっともっと楽しくて身近なものになったら良いなと思っています」

マラソン完走を目指してランニングを始めたことで、新しい出会いやつながりも生まれているそうだ。そうやって毎日がちょっと充実して、健康で過ごすことに幸せを感じられる。スポーツが多くの人にとって身近なものであるようにと願いながら、河合さんは競技やスポーツの普及活動に取り組んでいる。

スポーツをもっと楽しくて身近なものに
河合さんが挑戦する東京マラソン2020の特別仕様のシューズやウエアとともに。今年のアイテムは日本の伝統芸能から着想を得てデザインされている。

最後に、東京マラソンへの意気込みを聞いた。

「第一目標は、無事完走です。リタイアというわけにはいかないですから。練習は、少しずつ距離を伸ばしながらやれることはやっている実感はあるんです。とはいえ、一番難しいのは体調管理とコンディショニングだと思うんですよね。いくら準備してきても、当日に体調を崩しては何の意味もない。しっかり体調管理をしながら、より良い状態で目標より少しでもいい記録で走れたらいいなと思っています」

無事完走が目標と言いながらも、やはりアスリート魂は健在のようだ。

彼が積み重ねた努力は、消えることはないだろう。きっと河合さんは、次なるチャレンジのフィニッシュゲートをくぐるその瞬間まで、自分に挑み続けるに違いない。

東京マラソン2020の特別仕様シューズ・ウエアについてはこちら

 

アシックスは東京マラソン2020のオフィシャルパートナーです。

河合 純一(かわい じゅんいち)
1975年静岡県生まれ。生まれたときから目にハンディを負い、15歳で全盲となりながらも、パラリンピック金メダリストと学校教師という2つの夢をかなえている。1992年バルセロナ大会を皮切りに2012年ロンドン大会まで6大会連続でパラリンピックに出場し、5個の金メダルを含む計21個のメダルを獲得。2016年には国際パラリンピック殿堂に日本人として初めて選出。パラ競技の普及活動にも携わっており、一般社団法人日本パラリンピアンズ協会および、一般社団法人日本身体障がい者水泳連盟の会長を務める。

 

Text:Emma Nakajima
Photo:Tetsuya Fujimaki