アシックスのランニングコーチとして、イベントやメディアへの出演も多い池田美穂。プライベートでは2019年秋に女児を出産し、育児にも追われる日々。忙しい毎日のなか、今も走り続ける池田にとって、ランニングとはどんな存在なのか。その魅力を聞いた。

自分の限界を知った学生時代

これまで数々のメディアに登場してきた池田だが、自分がランニングコーチになるとは思っていなかったという。

陸上に出会ったのは中学の時。

「球技も水泳も苦手で、芸術的なセンスもない。『走ることなら誰でもできるから』と、友だちとなんとなく陸上部に入りました」

陸上部といえども、競技会や地区大会とは無縁。遊びの延長でランニングを楽しむような部活動だった。高校に進学し、大会に出場するようになると、今度はレベルの差を突きつけられた。

「後輩がインターハイ出場を決めたのを見て、同じように練習してきたけれど、自分はそこに到達できないんだと、力の差をはっきりと自覚しました」

それでも走ることはやめなかった。競技から離れた浪人期間中も、息抜きのようにふらっと走りに行くことは欠かさなかった。そして、大学に入り、池田は再び陸上に戻った。

「陸上部を見学したら、やっぱり楽しそうだったんです。ただ、全国大会を目指すような強豪校ではありませんでしたし、実業団に進みたいとか、ランニングを仕事にしたいとかは考えていませんでした。みんなで箱根の5区を走りに行ったり、市民大会に出てみたり、サークルの延長のようにランニングを楽しんでいました」

池田美穂さん

就職活動も、当初はスポーツ業界に絞っていなかった。だが、面接を重ねるうちに「やっぱりスポーツに携わりたい」と気持ちが変化した。

「私は、高橋尚子さんや野口みずきさんが世界の舞台で活躍された姿を見て、感動した世代です。自分ではあのレベルに到達できないけれど、サポートをする側に就きたいと思ったんです」

アシックスに入社し、配属された営業部で出会ったのが、池田と同じく、現在アシックスでランニングコーチを務める島田佳久だった。営業部の前任者だった島田は、プライベートではトライアスロンのエイジ(年齢別)で世界大会にも出場する実力を持っていた。

「引き継ぎの時に島田といろいろな雑談をして。私も陸上部出身で走るのが好きだと伝えたら、じゃあ一緒に皇居ランする?駅伝出る?と誘ってもらって。島田に出会って、私のランニングライフのPart 2がスタートしました(笑)」

東京マラソンがきっかけでコーチの道へ

社内にランニング仲間も増えた、入社2年目。第1回の東京マラソンに向けて、アシックスは直営店のオープンを控えていた。そして、店舗のディレクターだった島田とともに、池田もオープニングメンバーの一人として異動することが決まる。実は池田も初めてのマラソンとして、東京マラソンにエントリーをしていた。

「東京マラソンは大雨でとても寒かったのですが、応援もすごくて。ランニングクリニックに参加したことも、時間をかけて練習してきたことも、一緒に頑張ってきたみんなと完走して、打ち上げしたことも、その全部がすっごく楽しかった」

初マラソンのタイムは3時間25分。次の目標としていた東京国際女子マラソンの参加資格である3時間30分切りを見事に達成した。

そして東京マラソンを機に、世の中はランニングブームに突入。アシックス直営店でも頻繁にランニングイベントや練習会が開催されるようになる。

「当時、アシックスのランニングコーチは島田ひとり。グループの後ろについて遅れそうな人をサポートしたり、女性限定のイベントサポートを担当したりしているうちに、私もコーチをやらざるを得ない空気になってきたんです(笑)」

そこから池田は、島田に同行してノウハウを学んだり、アシックススポーツ工学研究所の研究員が主催する勉強会に参加したりとコーチングについて学んでいく。

「当時はあまりランニングコーチも多くなかったので、短期間にいろいろな経験をさせていただいて。私がここまでメディアに出させていただけるようになったのも、時代に恵まれていたからだと思っています」

そんななか常々、島田に言われていたことがある。それは「私たちは何者でもない」ということだ。

「オリンピックに出たわけでも、実業団にいたわけでもない私たちが教えても『説得力がない』と思われる方もいらっしゃるかもしれない。一流のアスリートと私たちが同じ発言をしても、重みや受け取られ方が違うのは当然だと思うんです。だからこそ、私たちはちゃんと自分のベストを目指して、走り続けていないといけない。そう島田に教わりました」

出産して改めて知った、走ることの楽しさ

池田美穂さん

2019年秋、池田は女児を出産。妊娠中はランニングコーチの業務こそ離れていたものの、やはり走り続けていた。

「医師には、運動してもいいけれど、転倒の危険があるので気をつけるようにと言われていました。だから妊娠6ヵ月ぐらいまではジョグをしていたのですが、ある日、夫からフォームが変になっていると言われたんです。お腹が重いからどうしても重心が後ろになってしまうんですね。フォームが崩れた状態で走り続けるのは良くないと思って、走るのは一旦お休みにして、そこからはたまにマタニティヨガをするぐらい。特に補強などもしませんでした」

ランニングに復帰したのは、出産から3ヵ月が経った頃。

初めて経験した7ヵ月のブランク。身体は重く、フォームは崩れていた。出産と育児の影響で、恥骨や背中には痛みが走った。想像していたような走りにはほど遠かった。それでも楽しかった。

「タイムは落ちていて当たり前と思っていたので、凹むことはありませんでした。ゆっくり走るのも嫌いじゃなかったし、むしろここからは伸び盛りだと思っていましたね」

ウォーキングから始め、筋トレやドローイン、インナーマッスルを鍛えながら、最初は週1回、1km7分ペースでスタート。そこから徐々に練習回数や距離を増やし、スピードを磨いていった。整骨院にも通い、完全に痛みがなく走れるようになるまでに1年かかった。

そして今は昔よりも純粋に、走ることを楽しんでいる。

「子どもはすごく可愛いけれど、やっぱり1人になる時間もほしい。走っている時間は好きな音楽を聴いて、好きな道を走って、誰にも邪魔されない時間。体も心もリフレッシュできるし、出産前とはレベルが違うぐらい、走れる時間の貴重さを感じています」

平日の起床は朝5時。そこから約1時間が池田のランニングタイムだ。

「昔はママさんランナーが朝早く起きて走っていると聞くと、そんな時間に起きられない!と思っていたのですが、早朝しか走る時間がないとなると、自然と起きられちゃうものだということを実感しました(笑)。休日は夫と交代で子どもを見て、ロングランをするのが今のスタイルですね」

生活や環境の変化に応じて、走るスタイルや楽しみ方も自然と変わってきたという池田。今の目標は3月に開催予定の東京マラソンでの3時間20分切り。久々に出場する思い出の大会でも、池田はきっと新たなランニングの楽しみを見つけることだろう。

 

池田美穂さん

池田 美穂
アシックスランニングクラブコーチとして、東京マラソンなどの市民マラソンのほか、国内外の多くのレースに出場。アシックス直営店や全国各地で、市民ランナーへのランニング指導を行う。現在はアシックスジャパン株式会社でランニングのマーケティングを担当。


Text:Junko Hayashida(MO'O)
Photo:Tetsuya Fujimaki