反省と課題の繰り返しが生んだオリンピック4連覇

オリンピック4連覇という金字塔を打ち立て、国民栄誉賞を受賞した伊調馨さんは、紛れもない2016年の日本の顔といえるトップアスリートだ。レスリングという激しいコンタクトスポーツにおいて、長きにわたって頂上に君臨してきた彼女は心身をどのように鍛えてきたのか。早くも大きな期待がかかる東京2020オリンピックへの心境とともに、独自のメソッドについて明かしてくれた。

勝ったということはその日だけの満足

リオデジャネイロ2016オリンピックを舞台に、日本史上初・レスリング史上初・女子史上初となる大会4連覇を達成した伊調馨さん。オリンピックが閉幕してから、現在はレスリングを休業中。この先レスリングに戻るかどうかは未定にあり、完全休養の状態が続いているという。今は少し走ったり、ストレッチをしたり、お風呂に多めに入ったりと、本人は笑いながら「美容健康志向です(笑)」と答えるが、前人未到の大記録を打ち立てたアスリートは、どのような意識をして肉体づくりに取り組んできたのだろうか。

「基本的に朝練と午後錬があって、朝はランニングや筋トレが主、午後はほぼレスリングのマット練習です。朝練が全力でできないと、午後のマット練習もうまく起動しないので、朝練を重要視していますね。年齢を重ねると肉体を維持することが大変と思いがちですけど、私は維持よりも上げていきたいという向上心があって。1秒でも速く走るタイムを縮めたいですし、ベンチプレスにしても500gでも重いものを上げたいんです」

勝つこと、上を目指すことにこだわり続けてこそアスリート。そのためには日頃の過酷な練習とトレーニングをこなし続けなければならないわけだが、伊調さんは自身のモチベーションについて次のように語る。

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「私はモチベーションで苦労したことがなくて。試合で練習してきたことをやろうとして、100%満足できた試合って全くなくて。絶対に反省と課題が生まれるから、それはその次のためじゃないですか。毎日の練習でも明日やることが生まれるし、今日うまくできても明日うまくいかないこともある。そうやっていくと、モチベーションが上がらないということはないんです」

日々の練習の中に必ずしも発見があるわけではない。しかし、一つの技の練習をあきらめたら、その時点でその技は覚えられなくなるかもしれない。いつ自分のものになるのかはわからないからこそ、練習を継続していくのだ。

「続けていくと、あ、こういうことなんだと思う瞬間があるんですよ。だからその時まで繰り返すという感じですね。自分が最高の試合だと思っても、もっと上があるんですよ。金メダルを取った、優勝した、何連勝したというのはその日だけの満足で、次の日には走りたくなったり練習したくなったりするんです。いくら金メダルを獲っても、昨日の試合でできなかったこととかやりたかったこととか、反省の方が多いですからね」

今まで獲った金メダルのなかでも、リオ2016のメダルが一番重たい

向上心の塊である伊調さん。ストイックでなければ、オリンピック4連覇の偉業を成し遂げられなかったと思うが、とはいえ、つらかったり落ち込んだりしたこともあっただろう。モチベーション以外に自身を支える存在に気づいた瞬間、それは2003年から積み重ねてきた公式戦の連勝が189でストップした、2016年1月に行われた国際大会の決勝戦後に訪れたという。「伊調馨が負けた」というニュースはある種の事件だった。

「あの時は試したいことがたくさんあって、試合でそれを試し過ぎたというか。結果、試合で空回りして負けてしまったんです。敗戦後はダメだったことを反省して、次はこうしようと納得した気でいたんですけど、日本に帰ってきたら周りの方が自分以上に心配してくれていて。大量のメールが届いて、私の中では転んだくらいでそんなに落ち込んでいなかったんですけど、そこまで心配させてしまったというか。やっぱり勝つことが誰かを喜ばせるし、負けちゃダメなんだなって。私はそれまでレスリングの追求ばかりに走っていたけれども、絶対オリンピックは勝たなければいけないなと思いました。私を支えてくれている人がこんなにいたんだと思い知らされたというか」

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大舞台になればなるほど、応援や声援は心強いというもの。しかしながら、ときには自身への期待がプレッシャーに変換されてしまうこともある。オリンピック4連覇という金字塔に向けて、伊調さんは周囲からの期待をどのように受け止めていたのだろうか。

「オリンピックだけは勝たなければいけないとなると、自分のレスリングを追求したい気持ちを抑え気味にしなければならないので葛藤がありました。だから、私がオリンピックで勝てたのは日々の練習ももちろんですけど、そういった方々の思いも全部重なったからだと思います。今まで獲った金メダルのなかでもリオのメダルが一番重たいです」

いつやめても悔いのないレスリング人生

来たる東京2020オリンピックに向けて気持ちは逸るが、冒頭でも触れたとおり、伊調さんは今後の予定について白紙の状況。今はさまざまなアスリートや指導者と会話を重ねて選択肢を広げているが、以前から将来的に後進の指導やレスリングを広めていく活動に興味を持っているという。

「指導者の立場になって、自分が今まで教わった技を伝えていかなければいけないなという気持ちは大きいです。ここまでたくさんの技術を教えていただいて、その中で自分のものになった技もあれば、まだ途中の技もありますし、全くできない技もあって。自分自身が選手でなくても、教え子と一緒にやっていくこともできるので、そこは指導者の面白いところかなと。最高のレスリング・選手を作っていくのは選手でなくてもできるという思いはありますね」

自身が培ってきたメソッドを伝えていくことが、いずれは必要になってくるのはたしか。レスリングという競技全体と日本のレスリングについて、伊調さんは次のように続ける。

「レスリングは入口が狭いじゃないですか。子どもの競技人口は多いけど、中学・高校になると他のスポーツに移ってしまったりするので、そこでもう少し土台をしっかり作れる立場に自分がなりたいなと思っています。休業期間の今はいろいろなスポーツに触れていますが、やはりスポーツはやってみないことには面白さがわからないというか。どのスポーツも奥が深くて、いろいろなこだわりがあるんです。アスリートがこだわりを持って一生懸命やっているからこそ、スポーツはたくさんの人たちの心を動かすんだなって。今はいろいろなことを吸収することで、自分がマットの上に戻った時には、もっと違う自分になれるんじゃないかなと感じています」

2020年に向けて自身に期待されていることが何なのか。それはあえて言葉にしなくても百も承知だ。とにかく今は自分の道を模索しているということ自体がはじめての経験で楽しい。伊調さんがどんな決断をとるのか、そっと見守りたいと思う。

「続けてほしい、自分で決めたらいいよ、もう十分頑張ったからやらなくていいよという人もいるんですよ。どれを選んでも自分の決めたことだから悔いはないのかなと。今までも、いつやめてもいいように悔いなくレスリング人生を歩んできましたが、やると決めたらレスリング漬けの生活になるので、腹を括らないと戻れない世界ではありますね。私には中途半端は無理なんです。今は自分自身の気持ちがわからないので何とも言えないですけど、スポーツ関係者の一人としては東京2020オリンピックに向けて盛り上げられることをお手伝いしていきたいです」

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伊調馨(イチョウカオリ)

1984 年生まれ、青森県出身。中京女子大学(現・至学館大学)卒。ALSOK 所属。アテネ2004、北京2008、ロンドン2012、リオデジャネイロ2016で金メダルを獲得し、女子史上初の五輪4連覇を達成する。世界選手権10 回優勝。2016 年10 月、日本政府から国民栄誉賞を授与される。

アシックスは、東京2020オリンピックのゴールドパートナー(スポーツ用品)です。

 

TEXT : Shota Kato PHOTO : Takao Nagase