不利な状況でも、努力と研究で勝ち取ったオリンピックのメダル

水泳のバタフライの選手として、初めて日本記録を出したのは大学三年生のとき。そこから数々の大会で自身の日本記録を塗り替え、輝かしい成績をおさめてきた中西悠子さん。こうした成績へと繋がるに至ったのには、類まれなる努力の結晶があった。

練習と研究を重ねた現役時代

「足のサイズも23cmしかなく、体格も外国人選手と比べると小柄で不利とされる状況でした」こう話すのは、2004年にアテネオリンピック200mバタフライで銅メダルを獲得し、いまではコーチとして全国で教えている、中西悠子さん。世界の舞台で活躍できた背景には、過酷で厳しい練習の積み重ねがあった。

ピーク時には10,000mを二時間半で泳ぎ、それを朝から晩まで週10セット繰り返すといったようなメニューをこなしていた。さらには、不利とも言える体格だからこそ、いかに崩れない泳ぎ方をするか、小さなひとかきでどこまで多くの水を後ろに送れるか、ひたすら研究に明け暮れたという。

「最初は自己流で思いつく限りのことを試して、どう変化がでるか研究していました。というのも、バタフライが全種目のなかで一番しんどいんです。となりのコースでゆったりとクロールで泳ぐ選手がいたんですが、バタフライはスローペースでもかなりキツい。バタフライを選んだのは自分なので仕方ないんですが、なぜ私ばかりこんな思いをしなければならないのかと(笑)。であれば、いかに体力を使わずに泳げてスピードを出せるか、そのことばかり考えていましたね。楽でスピードが出るということは、結果的に無駄な動きがないということにも繋がるわけです。とはいえ、キツいことには変わらないので、ときには泣いてゴーグルに水をためながら泳いでいたこともあります(笑)」

 

こうして試行錯誤したデータを自身の身体にインプットさせ、肉体を仕上げていった中西さん。精神面でも、オリンピックや国際大会の舞台のプレッシャーに負けないよう鍛え上げていった。

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「試合の3日前から緊張してくるので、少しずつアドレナリンを出していくんです。気持ちをつくっていって、先端が研ぎ澄まされていくような感覚。そして基本的にプラス思考なので、これだけ練習したんだから大丈夫だと自分に言い聞かせてマインドコントロールしていましたね。あとは開き直りです。自分より体格のいい外国人でも遅い人は遅いですし。つまりは、その日のその時に調子のいい人が勝つんです」

「弱音を吐いたら負け」。こう話す中西さんは、肉体、精神ともに試合に向けて常に最高のパフォーマンスを発揮できるように日々調整を重ねていったことで、メダル獲得や新記録へとつながっていったのだ。

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コーチの立場から水泳界を支えていく

 2008年北京オリンピックの2年後の2010年に、中西さんは現役を引退。会社員であれば定年制度によって自動的に引導を渡されるが、スポーツ選手が引退を決めるのは自分自身。さまざまな思いを抱えるなかで、引退の決断を選択するまでには多くの葛藤があったはずだろう。

「辞めるときに悔いはありませんでしたね。試合前になると泳ぐ距離を減らし、身体を休ませて精神を集中させていくのですが、あるとき体調を崩してしまったんです。これまでそういったことはなかったんですが、何度か続くようになって、これはちょっとおかしい、身体をうまくコントロールできていないなと。身体と心のズレが出てきたのをきっかけにして、辞める決断をしました。これまで100の力で全部出しきってやってきたので未練はありませんでしたね」

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競泳選手引退後は選手からコーチと立場を変えて、水泳の指導にあたっている。水泳の普及活動は以前からやってみたかったと話す中西さん。いまでは選手時代とは違う楽しさがあるという。生徒によって筋肉の硬さや筋肉の量、身体の柔軟性がちがうため同じ指導はできず、それぞれの泳ぎを見極めて生徒にあったアドバイスをしなければならない。その表現も個人によって受け取り方がことなるため、言葉の引き出しは多くもっていなければならないと話す。

 これから指導者の立場として、中西さんが水泳の未来に期待ものはなにか。それは3人の子どもをもつ母親としての答えだった。

 「子どもをもつ親には、水泳と触れるきっかけを作ってあげてほしいですね。私も水泳をはじめたきっかけは親からの勧めでした。強制ではなく、友だちもやっているからちょっとやってみない?というように、いま思えばうまく誘導された感じです。でも最終的には自分で選択して水泳の道を選んで、ここまでくることができたので、巡り合わせてくれた親には感謝しています。私にとって水泳は生活の一部であり、人生そのものです。同じように、水泳を楽しいと思ってもらえるような環境をつくっていきたいですね。水の中はほかのスポーツと比べて体格差を技術でカバーできる部分がありますし、ケガも少ないです。いまの子どもたちは体格もよく、世界で活躍できるチャンスがあります。その手助けになれたらいいですね」

 

 中西悠子(ナカニシユウコ)

1981年生まれ。大阪府出身。7歳から本格的に水泳競技を始め、高校1年生のときに日本代表に選出。19歳でシドニーオリンピック代表に選出。2003年の世界選手権、2004年のアテネオリンピック、2005年の世界選手権で銅メダルを獲得。2008年の日本選手権で100m、200mで日本記録を出し3大会連続で五輪代表に選出され北京オリンピックに出場。2010年に引退し、現在では全国各地で指導員として活躍する。

 

TEXT : Shota Kato PHOTO : Tomonori Hamada