日本女子競泳初となる偉業を達成

アシックスが新たに打ち出したブランドメッセージをテーマにした、ひとりの選手の日常とアスリートの両面を捉えたスペシャルムービー。そこに起用されたのが、2大会連続オリンピックに出場し、3つのメダルを獲得した日本の女子競泳界を牽引する鈴木聡美選手だ。彼女の実力はどのようにして作り上げられたのか、選手としてストイックに取り組むその原動力にせまる。

 

2012年のロンドン2012オリンピック。21歳の鈴木聡美選手が打ち立てた日本競泳女子史上初となる、ある記録に日本中が湧いたことは記憶に新しい。それは女子100m平泳ぎの銅メダル、女子200m平泳ぎの銀メダル、そして女子400mメドレーリレーの銅メダルと、1大会で3つのメダルを獲得したことだ。この偉業は女子競泳の歴史に名を残すものとして、一躍鈴木選手は世間から脚光を浴びることになる。

 

そうして、いまではトップアスリートとして日本の水泳界を背負って立つ存在だが、若いころから才能を開花させる選手が多いなかで、鈴木選手は遅咲きだった。高校卒業まではあまり目立った成績はなく、大学入学当初も懸垂ができないことをコーチから叱咤され、水中練習にもついていけず、同期においていかれないように必死だったという。しかし、厳しい練習として有名な山梨学院大学の指導が鈴木選手を奮い立たせたことで次第に頭角を表し始め、1年目の日本学生選手権水泳競技大会の100m平泳ぎで、日本記録を打ち立てることに。

 

「環境が変わり右も左もわからずに練習していただけで、状況を理解できていかなった。なんでこんな記録が出ているんだろうという気持ちでしたね」

鈴木聡美選手

そのまま快進撃は続き、2年後のロンドン2012オリンピックで冒頭の偉業を成し遂げることになるのだが、ここでも想像とは裏腹にレースが始まるまではメダルを取れるとさえ思っていなかったと振り返る。

 

「有利なコースでもなかったので、メダルよりも自分の記録を狙おうと考えていたことがプレッシャーも感じることなく、自分らしい泳ぎができて功を奏したのかもしれません。2つメダルが獲れたこともあって、メドレーも先輩に任せるんじゃなくて、私が仕掛けるという気概で挑んでいきました」

4年のあいだに味わった栄光と挫折

もちろんこの結果は偶然でもなければ奇跡でもない。ただひたすら、ひたむきに諦めることなく、過酷なトレーニングを続けてきたことに他ならない。厳しい状況を耐え抜いてきたことであわれる自信、これこそがメダル獲得への秘訣だったといえるだろう。

鈴木聡美選手

ただ、そうした輝かしい成績が今後、自身を追い込んでいくことに。ロンドン2012オリンピック以降は国際大会の表彰台から姿を消し、競泳人生としての荒波に飲まれてしまう。社会から注目を浴び、メダリストとしての重圧が21歳をいう若き女性に重くのしかかってしまうのだ。

 

「わかりやすく、すごく重い荷物を背負っていた、常にそんな感じでした。レース前でも練習でも、メダリストとしての責任を感じてしまい、それに応えないといけないとばかり考えていてとても苦しかったです。その気持ちを知ってか知らずか、コーチからも『よっ!メダリスト!』なんて言われるんですが、冗談だとしても私にしてはただのプレッシャーでしかなった」

 

そんな不調な時期が続いていたとき、ある気付きをきっかけに自分のスタイルを取り戻していくようになる。

 

「プレッシャーというものは周りから押し付けられるんじゃなくて、自分がどう捉えるかでネガティブなものにもなるし、力としてポジティブにもなるということがわかってきました。そこに気付いてからは、自分のことやコーチのことを信じられるようになり、お互い支え合いながら少しずつ修正していきました」

 

そして、3年の苦難を乗り越えて見事、リオ2016オリンピックへの出場権を勝ち取ることになる。

すべては2つのモチベーションから始まる

鈴木聡美選手

「リオ2016オリンピックが始まるまでは、男子の平泳ぎの選手を追っかけまわしていましたね。負けるのは当然なんですけど、それでも負け続けたときの悔しさを燃料として燃やしながら、少しでも前に、少しでも速く、と練習を重ねていきました」

 

そのストイックさに頭が下がる思いだが、まさにアシックスが掲げる「ワタシを、動かせ。」とあるように、なにがそこまで鈴木選手をアスリートとして駆り立てるのだろうか。

 

「意識と覚悟です。自分で決めた目標を達成するという意識と、達成すると決めたからにはどんなつらいことでも諦めずになんだってやる、という覚悟です。スランプのときもそこで辞めたら全てを失ってしまいますし、納得がいかない結果でもどこか手応えを感じていましたので、意識と覚悟を忘れずに挑み続けたことがいまに繋がっているのではないでしょうか」

 

鈴木選手が自分で決めた目標というのは金メダルだ。2020年の東京2020オリンピックの前にも、いくつもの大会が待ち受けている。目下挑むのは、今年4月の日本選手権水泳競技大会の選考会。1月から3月まで追い込みの練習を続けていくという。

 

「レースで勝つための方法は一つだけ。ひたすら納得のいくトレーニングを積み重ねていくということです。それ以外に近道はありませんから」

 

鈴木聡美(スズキサトミ)

1991年生まれ、福岡県出身。九州産業大学附属九州高校卒業後、山梨学院大学へ進学。2009年、女子100m平泳ぎで日豪対抗ユース代表入り。2010年の日本選手権で平泳ぎ3冠を達成し、2012年のロンドン2012オリンピックでは、リレーを含めて3つのメダルを獲得。2014年のアジア大会では50m平泳ぎで優勝。2016年リオデジャネイロ2016オリンピック出場。

 

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TEXT : Keisuke Tajiri