ストリートと3x3。2つのカテゴリーでトップボーラーを務めるK-TAは、どのようにバスケットボールに触れ、誰と出会い、何を考えて現在に至ったのだろう。インタビュー後半は「苦しさよりも、充実感のほうが勝っていた」というSOMECITY創設期から、「いよいよ、自分の想像を超えたところまでやってきましたね」というSOMECITYのいま、そしてストリートボールのこれからを語ってもらった。

月収10万円以下、徹夜でプレー。それでも充実していたSOMECITY創設期

毎日が充実していた。リーグが大きくなるにつれて、得られる報酬が増えていくのがうれしかったし、意地と意地とがぶつかり合うようなプレーができる仲間もたくさんいた。しかし、いつしか違和感も覚えるようになった。

「なんかこう、アメリカで感じていた『バスケを日常で感じる空気』がやっぱり恋しくて、日本でも体現したいと思うようになっていたんです。LEGEND(レジェンド)はストリートボールを広める活動ではあったけれど、僕はリングやプレーできる環境、ストリートボールをやる人たちを増やしたかったんです」

K-TAのその思いに、学生時代からのバスケ仲間だったTANAが賛同する形でスタートしたのがSOMECITYだった。個人ポイントで争われたレジェンドに対し、SOMECITYはチームで戦う総当たりのリーグ戦。最大600人入る会場に100人程度しか集まらず、月収が10万円に満たない日々が2年ほど続いた。K-TAはプレーの傍らで、物品搬入、動画編集、ホームページ更新などの業務も担当。前日の準備が終わらず、徹夜でゲームに臨むことも少なくなかったという。

「ただ」、とK-TAは穏やかな声で続ける。

「不思議と苦しかったことってあまり思い出さないんですよね。たまに振り返って『あの頃は笑えるな』というくらい。大変だったことも含めて楽しかったんです。なぜかというと、売り上げは確かにすぐには増えなかったけれど、ちょっとずつ前に進んでいる実感があったから。関わっていく人が増えて、大阪や仙台など、地方でもリーグが立ち上がった。そういう充実感のほうが勝っていたんです」

東京一都市でスタートしたSOMECITYは、現在全10都市で展開され、各リーグのシーズン上位成績チームがプレーオフで日本一を決めるレギュレーションになった。さらには新しいスターを発掘するオープントーナメント「WHO’S GOT GAME?」、かつてK-TAが挫折した強豪大学のプレーヤーとストリート勢を戦わせる「NIGHT COLLEGE」といった、リーグの外に向けた試みも実施。筆者の肌感覚にはなるが、SNSを通じてボーラーたちの妙技に心酔する地方在住の中高生も増えてきた印象だ。

パートナーの数も増え、2018年シーズンからはASICSがシューズやウエアを提供している。「ASICSはバスケに精通している会社なので、僕たちもすごく世界が広がりました。SOMECITYのコートや3オン3に適したプロダクトを提供してくれていますし、僕らのフィードバックをしっかりとって、製品開発に活かしてくれています」

BLAZE NOVA

K-TAが愛用するシューズはBLAZE NOVA。「グリップがすごくいいのと、ヒモを締める前からフィット感がある設計になっているのが気に入っています。横の動きが多いストリートや3人制バスケットボールにもしっかり対応してくれます」と着用感を語ってくれた。

K-TA選手が着用するバスケットボールシューズ、BLAZE NOVAはこちら

ストリートはチャンスに満ちあふれている

「いよいよ、自分の想像を超えたところまでやってきましたね」。そういってK-TAは笑う。ドロップアウトした大学時代、フリーターで食いつないだLEGEND時代、そして、金銭や肉体的な苦労はあったが心は充実していたSOMECITY創設期。これらの激動の日々が現在のK-TAを、想像以上の未来に運んできた。

K-TA選手

ただ、彼が見据える道はまだまだ途中。自前のコートを作りたい、ゴールを街に増やしたい、そして3x3日本代表として東京オリンピックに出場したい――。「欲張ってやりたいですね」と、K-TAはあくまでそれらを成し遂げるつもりでいる。

自分の後に続く若い世代の選手たちには、チャレンジすることの大切さを説く。

「自分みたいに高校の県大会1回戦負けして大学バスケ部を退部しているような選手でも、今はこうやって第一線でプレーさせてもらって、オリンピックが狙える場所にも立っている。それはストリートの舞台で経験を積んで、結果を出してきたからだと思います。ストリートにはすごいチャンスがあります。それこそ、ストリートからBリーグに進んだ選手もいるんですから。高校や大学で芽が出なかったとしてもそこであきらめず、やり続ければ絶対チャンスが来る。それは僕自身が実感していることです」

これを読んだあと、今一度K-TAのプレーを見てほしい。その存在感、鍛え上げられた肉体とスキル、勝利への意志がどこから生まれたものなのかがよくわかると思う。そしてこれらはすべて努力の末に手に入れたということも。

K-TA選手

K-TAには「bonafire」という通り名がある。「FARのクルーが適当につけただけです」と彼は一笑に付したが、「誠実/真実」という意の「bona fide」に「fire」を掛け合わせたこの造語が、適当に名付けられたものとはとうてい思えない。

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K-TA(鈴木 慶太)
1981年生まれ。神奈川県出身。180cm 82kg。F'SQUAD所属。3x3 EXE PREMIER TOKYO DIME所属。幼少期に渡米し、ストリートバスケに親しむ。帰国後は明治大学バスケットボール部に入部し、2年生までプレー。SOMECITY立ち上げメンバーの一人として創設期から活躍。第2回FIBA 3x3男子世界選手権大会 3x3男子日本代表。

TEXT:Miho Aoki

PHOTO:Tetsuya Kogure