※本記事は、2020年取材時のものです。

第32回オリンピック競技大会(2020/東京)、東京 2020 パラリンピック競技大会まで1年を切り、世界各国から訪れる選手や観客を迎えるための準備も最終局面に入っている。そのなかで大会期間中、日本の顔となるのが、競技場や周辺の地域でゲストを迎える11万人ものボランティアスタッフだ。過去、日本ではさまざまな催しが行われてきたが、11万人という規模はなかなか例がないだろう。今大会、フィールドキャストとシティキャストのユニフォームの製作を担当したアシックスは、過酷な東京の暑さのなか、〝ボランティアの皆さんが少しでも快適になるように〟をキーワードに、素材からシルエットまで、ひとつひとつを検証。約3年の月日をかけて、新しいコンセプトのウェアを開発した。

1着のウェアに込められた 先進的アイデアについて、株式会社アシックスの松本竜文(開発担当)、川中一寿(パタンナー)、松本直子(各種データの収集・解析を担当)の3人が語る。

少ない動きでも風を感じられる。

選手用とは異なるアプローチで開発されたポロシャツ

シティキャスト用(左)と大会スタッフ用(右)のウエア。いずれも、裾から 空気が吹きこみ、上に抜けるような構造になっている。

松本(直):ひとつには日本独特の高温多湿の気象条件です。日によっては気温40℃、湿度が80%になるときもありますし、そこに日差しが加わると、想像以上に過酷です。休憩は挟みますが、ボランティアは1日6時間、10日以上働けることが募集条件になっているんですね。長時間、屋外にいるという想定は、今まではなかなかありませんでした。

松本(竜):もうひとつ、これまでの暑熱対策のウェアというのは、アスリートに向けたものだったんです。選手用のウェアなら、とにかく勝つために何ができるかということにフォーカスすれば良い。たとえば、マラソンなら生地に穴を開けても良いわけです。でも一般の方にそんな透けたウェアを着てもらうわけにはいかないですよね?(笑)

――なるほど。11万人の方が着ることができる涼しいウェア。なかなか難しそうですね。

川中:暑熱対策に関しては、通気性が重要なポイントになるのですが、選手は走ったり、動いたりするので、自然と風を感じることができるんです。一方、ボランティアの方は同じ場所に立ちぱなしであることが多く、ゆっくり歩く程度の動きが多いと思います。そこで「衣服内に対流を生む」ということができないかと考えたんです。ただ、風を起こして衣服内の温度を下げるというところまでは思いついたんですが、実際にどうしたらいいのか全然案が浮かばなくて…。そこでアシックススポーツ工学研究所にヒントをもらいに行って、出てきたのが「煙突効果」でした。シャツ内外の温度差から、下から入った空気は上から出ていきます。だから裾の間口を広げたらいいのではと考えたんです。さらに大きなスリットを入れることで、 空気が入りやすくしました。タイトすぎると風の流れができないし、ゆとりが大きすぎるとだらしない印象になるので、そのバランスは苦労しました。

松本(直):サーマルマネキンという特殊なマネキンがあるのですが、これで測定をすると 、スリットがあるものとないものでは、数値が全然違うんです。また、実際に着て歩くと、ふわふわと裾がはためくので、空気の移動がおこっていると考えています。

川中:空気が通りやすくなるように、一番上のボタンは通常より下に位置をずらして、胸元が少し開くようなデザインにしています。

約100人の着用テストを通じて開発された「涼しい」素材とは?

生地の裏側は、通気性・吸汗速乾性にすぐれた 六角形 パターンを採用。

――素材も新しく開発されたんですよね?

松本(竜):素材へのこだわりは3つあります。最も重視したのはやはり、衣服内温度を下げるための通気性。素材メーカーに協力いただいて、何種類も通気性に優れた素材を開発してもらい、実際にサンプルを作ってどれが一番涼しく感じるのかをテストしました。もうひとつは、吸汗速乾性。生地をよく見ると六角形のパターンになっているのですが、これは通気性だけでなく、吸汗速乾性も良くしてくれるんです。

松本(竜):最後に着心地の良さです。汗をかくと服が肌にペタっと張り付いて不快に感じますよね。着心地を良くするために裏側に撥水加工のある糸を使い、汗を表面に逃しながら、内側に汗が戻ってこないようなつくりにしています。汗をかいても、ウェアの内側はさらっとした着心地なんです。

松本(直):素材を絞り込む過程では、温度と湿度をコントロールできる人工気象室という部屋で実際に歩いてもらって、衣服内温度と湿度、さらに着た人に清涼感を5段階で評価してもらい検証しました。また、見た目に惑わされないよう、アイマスクをしてトレッドミルを歩いてもらうというテストもしました。温度と湿度だけでなく、より実際の環境に近づけるため人工太陽灯も導入しました。

――確かに日差しがあるのと、ないのとでは暑さの感じ方が大きく変わりますよね。

松本(直):それでも実際の東京の夏は別物でした。2017年から毎年夏は東京の炎天下でテストを行ったんですが、テストしている私たち自身が熱中症になるのでは?と思うぐらいの暑さでした。それでも何種類か着てもらうと「これ、涼しいです」っていうウェアがあって、ほとんどみんな同じウェアを指す。それがこのウェアなんです。

シャツ以外のアイテムも通気性・清涼感に特化

ユニフォームの開発にあたり、シャツ以外のアイテムも通気性を重視されている。たとえば、ボランティアスタッフが履くシューズ。副次的に通気性が良いシューズはこれまでも存在していたものの、メインテーマとして通気性を高めるという取り組みは珍しいという。

シティキャスト用のアイテム。ポロシャツはもちろん、パンツ、シューズまで、今回の大会のためにゼロから開発されたという。

このシューズは、ヒトが歩く動作に注目し、脚がスイングする際にシューズのなかに効率的に空気を取り込めるよう、アッパーのメッシュパターンが斜めに入っている。また、中敷きや中底にも通気孔が開いているほか、ソールには通気用の溝が設けられている。つまり、アッパーとソールの間で風が自由に出入りすることで靴の中の環境を快適に保てるというわけだ。

このように、フィールドキャストやシティキャスト酷暑から守るため、ポロシャツ以外のアイテムにも通気性を向上させる工夫が随所になされている。各アイテムにどのようなこだわりがあるのか詳細を聞いた。

――パンツもさらっとした手触りで、触れると少しひんやりしますね。

松本(竜):この素材も速乾性に優れ、なおかつ薄いものを開発したんです。腰の部分にメッシュ素材をあしらうことで、パンツ内の通気もよくしています。さらにポケットの裏地まで、メッシュ素材にして蒸れないようにしているので、汗をかいても脚に張り付きにくくなっています。

――ロングとハーフの2WAYで履ける仕様になっているところにも、開発チームのみなさんのこだわりを感じます。

川中:はい。11万人もいらっしゃるので、ロングパンツがいい方もいれば、ハーフパンツが好きな方もいる。そのため膝上の部分にファスナーをつけて、ロングにもハーフにもできるようにしています。

松本(直):最初のサンプルでは、このファスナーが肌に当たって着心地が悪いという意見もあったんですよ。それが2回目のサンプルでは、すごく改良されて、全然違うものになっていました。

川中:そういう意見があると聞いて、いろいろ考えたんです。コイルの細いファスナーは、耐久性が弱くなると敬遠されがちなんですが、今回は快適性を重視してこのファスナーを採用しました。さらに内側にも生地を配置し て、ファスナーが肌に直接当たらないようにしています。

――ポロシャツもパンツも、シルエットがきれいだと感じました。パターンにはどのようなこだわりがあるのでしょうか?

川中:フォーマルに見えるよう、ポロシャツの衿は小さめに設定。パンツは前開きの仕様を採用しました。ただ、その中にもスポーツブランドらしく動きやすさは追及し、股部分にマチを配置し、膝は立体裁断の設計を施しています。

松本(直):「ジャージっぽく見えない」という感想をもらった ときは、嬉しかったですね。

――ポロシャツ・パンツ以外のアイテムも通気性・清涼感を意識して作られているのでしょうか?

松本(竜):シューズの開発チームでも同じく通気性に特化した開発を進めていて、私たちアパレル開発チームは、シューズの通気性を損なわないように、靴下も汗をかきやすいところにメッシュを多く入れるなど、位置を細かく計算しました。

松本(直):帽子は首の後ろが焼けないように後ろのヒサシを大きくして、メッシュ加工を取り入れることで帽子内の蒸れを軽減できるようにしています。

松本(竜):もうひとつ、ユニフォームにはサステナブルというテーマがあって、ソックス以外は全て再生ポリエステル材を使用しているのもこだわりです。

フィールドキャスト用のアイテム一色。あらゆるアイテムが「通気性」を意識して開発されている。

――小物ひとつひとつ、細部にまで暑熱対策と快適性へのこだわりが生かされているんですね。フィールドキャストやシティキャストの方も着るのが楽しみなのではないでしょうか。

松本(竜):これらのアイテムが少しでもフィールドキャストやシティキャストの方の助けになればうれしいですね。そしてこの技術は、今後いろいろな商品に展開する予定になっています。

松本(直):11万人分となると、すべてを作るのに1年近くはかかります。まさにいま、生産チームは鋭意製作を行っています。多くの人たちの英知とサポートが結集してようやくできたユニフォームを、東京2020オリンピック・パラリンピックで見られるのを、私たちも楽しみにしています。

アシックスは東京2020オリンピック・パラリンピック ゴールドパートナー(スポーツ用品)です。

TEXT:Junko Hayashida(MO'O)
PHOTO:Katsuyuki Hatanaka