今シーズンから早稲田大学ラグビー蹴球部の指揮をとる大田尾竜彦、

今年度創部の早稲田佐賀高校ラグビー部監督に就任した山下昂大。

かつてキャプテンとして〝早稲田ラグビー〟を背負ったふたりは

大学、高校の指導者として、いま何を思うのか?


〝早稲田ラグビー〟から受けた衝撃


――早稲田大学への入学、ラグビー蹴球部に入部したきっかけは何ですか?

大田尾 僕が佐賀工業でラグビーをやっていたころ、その学年の上手な選手たちが早稲田大学に行くという流れがあり、かつ、入学するための試験が難しいということも知って、より難しいことにチャレンジしたいと思いました。

山下 僕は東福岡という日本一を目指すチームにいたので、大学でも日本一を!と思って、早稲田大学への進学を決めました。


――早稲田大学ラグビー蹴球部にはどのようなイメージを持っていましたか?

大田尾 練習はキツいんだろうなと想像していました。学生が主体となって部が運営されているとも聞いていました。

山下 小さい者が大きい者に勝つ! 強者に果敢に挑むメンタリティを感じていました。


――実際に入部し、〝早稲田のラグビー〟に触れてみて何を感じましたか?

大田尾 実際、練習はハードでした。部員がものすごく多かったこともあり、高校との違いに驚いた記憶があります。僕が18歳で入学したときに三浪されていた方は20代半ばで、その差も感じました。そのような先輩方から、「早稲田でラグビーをやりたい」という純粋な思いが伝わってきました。

山下 僕は高校の卒業式後にひざの手術をしたために、6月くらいまで練習に参加することができませんでした。みんなが一番キツいという新人練習をしなかったんです。

練習に参加できるようになってから、決め事がものすごく多いことに驚きました。東福岡は個人の能力を重視するスタイルだったので、その違いを感じました。


――大学に入学して、一番驚いたことは何ですか?

大田尾 1年生のときはフルタイムの監督がいなかったので、練習メニュー、メンバーの選考なども選手主体で行っていました。江原和彦さんがキャプテンだったん のですが、その力の大きさに驚きました。

山下 チーム全体で決められた動きをする、シークエンスですね。僕はそれまで自由奔放なラグビーをしていたので、そこに衝撃を受けました。


チームを背負うキャプテンの使命


――おふたりとも4年生のときにはキャプテンを任されましたが、キャプテンとしてどのようなことを心がけましたか?

大田尾 前任のキャプテンが山下大悟さんで、その年、13年ぶりに大学日本一になりました。1年1年、違うチームだとみんなもわかってはいるのですが、清宮克幸監督についていけば道が開けると思っていた部分はありました。

組織として少し考えることがおろそかになっていたように僕は感じました。でも、それは早稲田大学ラグビー部が絶対に持っていないといけないもの。その部分をどう促すかというところで苦労しました。

早稲田ラグビー蹴球部 太田尾竜彦監督

――具体的に、何をしましたか?

大田尾 4年生を中心に何回もミーティングをして「このままではダメなんじゃないか」という話をしました。「自分たちの学年のプライドを持って、行動を変えよう」と。

試合に出ていない4年生が試合に出ている4年生と同じ熱量で同じ意識でグラウンドに立つことが本当に大事なんです。僕たちの学年は、試合に出る4年生が少なかったので、特にそう感じましたね。


――その成果が出たのはいつごろですか?

大田尾 僕たちの学年は全日本大学選手権の決勝で関東学院大学に負けたのですが、準決勝の同志社大学戦では、チームとしての粘り強さを出せたように思います。みんなと一体になって戦えたという実感があります。

早稲田佐賀高校ラグビー部 山下昂大監督

――山下さんは、キャプテンとしてどのような苦労がありましたか?

山下 僕たちの学年は下級生のときに試合に出る選手が少なくて、チームが立ち上がったときには、「史上最弱の代」とも言われていました。勝つことにこだわったのですが、最後までひとつにまとまり切れませんでした。みんなで話し合ったことをグラウンドで表現できなかったという思いはあります。


――現役時代、関東対抗戦の明治大学戦、慶應義塾大学戦について印象に残っていることは何ですか?

大田尾 うまくいけば、チームはここで劇的に伸びますね。自信をつけて、そのあとの試合に臨むことができる。早慶戦、早明戦は満員のお客さんが入って、場内は異様な雰囲気になりました。そんな試合を乗り越えるためには、日々の練習、普段の生活、たたずまいがものすごく大事なので、練習でやったことを早慶戦、早明戦で発揮するために何をするのか? をよく考えていました。


――相当なプレッシャーがかかったでしょうね。

大田尾 特に早慶戦は学生にとって大イベントです。観衆の熱気がすごいですし、雰囲気、にぎやかさがほかの試合とは違いますね。ユニフォーム姿で応援してくれる観客の様子をグラウンドから見て「すごいなあ」と思っていました。

山下 僕たちのころは帝京大学が強かったので、明治戦、慶應戦の前に帝京をどうやって倒すかを考えました。3大学との対戦前はピリピリしていましたね。


――異様な雰囲気の中で力を発揮することができましたか?

大田尾 僕は試合が始まれば集中できるタイプで、試合前までは緊張していても開始の笛が鳴れば体が動かないということはありませんでした。ただ、まわりには緊張している選手がいましたから、いつも以上に声をかけるようにしていました。

山下 1年生のときに初めて早慶戦に出させてもらったのですが、秩父宮ラグビー場が満員で、観客との距離が近くて、ものすごく緊張したことを覚えています。早明戦のあった国立競技場では、歓声で地響きがする感じでした。


――大観衆の中で実力を発揮できる選手、できない選手の違いは何だと思いますか?

大田尾 自分の特長を持っている選手は力を出すことができると思います。本人の自信次第で、実力があっても自信がなければ難しい。

山下 しっかりと「自分がやるべきこと」の割り切りができている選手は試合で活躍するんじゃないでしょうか。雰囲気に舞い上がって、「あれもやろう、これもやろう」と考えると自分の仕事に集中できなくなります。



指導者として大切にしていること

大田尾監督

――ご自身が指導者になるというイメージをいつぐらいから持ちましたか?

大田尾 大学卒業後はヤマハ発動機ジュビロでプレイしました。26歳くらいのときに強化を縮小することになり、自分を振り返る時間ができました。自分には何ができるのか、何が合っているのかを考えたときに、ラグビーで何かを伝える、教えるということが浮かびました。


――山下さんが「いずれは指導者に」と思ったのはいつごろでしょうか?

山下 高校2年生くらいのとき、ずっとラグビーに関わっていきたいと思うようになりました。職業として考えたとき、高校ラグビーの監督が浮かびました。


――指導者として大切にしていることは何ですか?

大田尾 選手たちに迷わせてもいけないし、考えることをやめさせてはいけない。早稲田大学の場合、さまざまなバックグラウンドを持った選手が入学してきます。年齢も幅があります。だから、ひとりひとりに「何のために早稲田に入ってきたのか」「ここで何をしたいのか」と問うようにしています。

「赤黒を着て優勝すること」が早稲田大学ラグビー部の使命です。「赤黒を着ること」を目標にしていた生徒も4年間を過ごしているうちに、その先を見て努力する仲間を見て、感化される。「自分もそうなろう」となるのが、うちの部のよさですね。常に、「おまえは何になりたいのか」と問うようにしています。


――山下さんは創部したばかりの早稲田佐賀のラグビー部監督に就任されました。成長途中の選手たちを指導することの難しさはありますか?

山下 10月に、花園につながる全国高校ラグビー佐賀県大会に初めて出場しました(鳥栖工業に14対39で敗退)。ラグビー未経験者が多いので、ボールの持ち方、パスの仕方、走り方から教えています。

僕にとって当たり前のことが生徒にとってはそうではない。そういう大変さもありますが、生徒がものすごく素直で、真剣にラグビーに取り組んでくれています。日々、成長を感じています。


――現時点で、花園は見えていますか?

山下 まだまだ遠いですね。でも、部員数が増えて実戦的な練習をしっかりできるようになれば、少しずつ近づいていけると思います。


――今シーズンの早稲田大学の仕上がり具合はいかがでしょうか?

大田尾 ステップとしては順調に来ていますが、大事なのはここから。どういう準備をするか、試合をするか、反省をするか――ですね。


――早稲田大学ラグビー部として、継承されていること、変わりつつあることは何でしょうか?

大田尾 4年生の取り組み、最後まであがき続けるところ、そのあたりは変わっていません。選手たちはインターネットなどを通じて、ラグビーに関して多くの情報を得ていますから、彼らにとって本当に必要なものを見極めて削いであげること、フィルター役になるのが指導者の役割だと感じています。そのあたりが、僕の大学時代とは違うところではないでしょうか。

いまの選手たちはお互いに言い合うことに慣れていないと感じます。僕の現役時代であれば、テレビの前にみんなが集まって、ひとつのプレイに対して「ここはこうだった」「ああすればよかった」と話し合ったものです。でも、いまはスマートフォンなどで別々に動画を見ることが多くて、意見を戦わせることが少ない。夏以降、そういう部分をかなり指摘して、お互いに要求し合うことを促していきました。


――大田尾さんから山下さんへのメッセージをお願いします。

大田尾 本当にイチからのスタートで大変なことがたくさんあるでしょうが、彼にしかできないことです。勝つことと人間を育てることの両方を追うことができる指導者だと思います。

早稲田ユニフォーム

――最後に、おふたりにとって、「赤黒」とはどういうものですか?

大田尾 早稲田大学ラグビー蹴球部の象徴ですね。昔から受け継がれているものはたくさんありますが、やはり一番は「赤黒」です。

山下 憧れであり、誇りですね。早稲田佐賀も同じジャージを使わせていただいているのですが、見るたびにカッコいいなと思います。


大田尾竜彦(おおたお・たつひこ)

1982年1月31日、佐賀県生まれ。早稲田大学ラグビー蹴球部3年時に大学選手権で優勝、4年時主将。卒業後はヤマハ発動機ジュビロに入団し、トップリーグでの出場は166試合、日本代表は7キャップを数える。2018年に現役を引退後は同チームでコーチやスタッフを務め、今年度より母校早稲田大学ラグビー蹴球部の監督に就任した。

山下昂大(やました・こうた)

1990年1月26日、福岡県生まれ。東福岡高校3年時に主将として花園で優勝。早稲田大学に進学後は4年時に主将を務めた。卒業後コカ・コーラレッドスパークスに入団し主将も務めた。2020年に現役を引退し、今年度新設された早稲田佐賀高校ラグビー部初代監督に就任した。

Text by 元永知宏(Motonaga Tomohiro)