いい仕事をする。それだけは、現場でも俳優でも変わらない。
松重豊が建設現場で学んだ、プロフェッショナルの横顔。
いい仕事をする。それだけは、現場でも俳優でも変わらない。
松重豊が建設現場で学んだ、プロフェッショナルの横顔。
鉄骨の上にテントを張り、高層ビルの外壁に石を貼る。命綱をかけられない場所にも登った。
俳優・松重豊さんには、20代半ばに一度俳優の道を離れ、建設現場で働いていた時期がある。
そこで目に焼きついたのが、現場で働く職人たちの「プロフェッショナルな横顔」だった。
それからおよそ30年。『孤独のグルメ』シリーズをはじめ数々の作品で唯一無二の存在感を放ち、
近年は企画や監督として現場を束ねる立場にもなった松重さんは、あの頃の職人たちから何を受け取ったのか。
雨の降る都心のビルの屋上で、新しいワーキングシューズを履きながら話を聞いた。
Photograph & Direction_Naoto Date
Videograph_Ryosuke Senda
Styling_Yoshie Masui
Hair & Make-up_Ikumi Takahashi
Edit & Text_Rio Hirai
七つ道具にだけは、とことんこだわった。
— 20代半ばに一度、俳優の道を離れて建設現場で働かれていたと伺いました。実際にはどのような仕事を担当されていたのでしょうか?
最初はテント職人でした。大きな建物を建てるとき、鉄骨の上に工事のためのテントを張らなきゃいけないんです。鉄骨を登っていって、そこにテントをかけていく。高いところに登る仕事で、安全確保が難しい場所もありましたから、正直、危険な仕事でしたね(笑)。
そのあとは外壁の石を貼る仕事をしていました。ちょうど横浜のランドマークタワーが建っていた頃で、あの時代は「石バブル」というか、外壁に石を使うくらい建設にお金をかけていたんです。僕はその外壁の石工事に携わっていました。
— それは相当に過酷な現場だったのでは?
夏場は炎天下のテントの下でずっと作業していたり、雪の日に、手も足もかけられないような場所を登らなきゃいけなかったり。いまはそういうところに乗ってはいけないことになっていますけど、当時はそこで作業せざるを得なかった。ですから、一瞬でも油断してミスをしたら大きな事故につながる為、常に気を張ってました。無事で済んでよかったと、いまは思います(笑)。
— そのなかで、道具へのこだわりが芽生えていったそうですね。
男の子っていうのは、ものづくりのパーツやツールにやたらとこだわるものなんです。いい職人が持っている道具を欲しがるのは、現場で働く人の常でしたし、工具店に行って「あの人が持っていたラチェットが欲しい」なんていって探したりして。道具をどう腰に下げるか、ガチ袋や、そこにつけるパーツにもこだわっていました。
ほかにそんなに贅沢はしなかったんですけど、いわゆる自分の「七つ道具」にだけは、こだわっていました。硬い道具を自分の身体に沿わせていく、自分の形にしていくというプロセスも、楽しかったんです。
— 道具そのものに惹かれていたんですね。当時、仕事のうえで大切にしていたことはありますか?
とにかく、いい仕事をするということです。アルバイト代を稼ぐというより、やっぱりものづくりですから。アルバイトとはいえ、ものをつくって、いい仕上がりになって、お客さんに喜んでもらう。それが何よりの喜びでしたし、そのために日々精進していたと思います。
それはいまも変わらないんですよね。観客の方だったり、テレビの前の人だったりを、どう楽しませるか。現場作業とまったく同じことをやっているつもりでいます。そこに尽きると思います。
形だけじゃなくて、
本質的なものを学んでいかなきゃいけない。
— 現場で働く人たちの、どんなところにかっこよさを感じていましたか?
プロフェッショナルな横顔ですよね。もう、そこに尽きます。現場にはいろんな業種の人がいるんです。鳶や電気工、足場職人、クレーンの運転手。そういう人たちの、男としての横顔というか、面構えというか。それを見てきた記憶があって、そのあと僕は俳優になっていくんですけど、ああいう面構えに対する憧れがずっとあるんです。
そのためには、形だけじゃなくて本質的なものを学んでいかなきゃいけないと思っていました。生き方というものを、現場でいろいろ勉強させてもらった部分はあると思います。
— 職人の技術と俳優の技術は、積み重ね方が違うとおっしゃっていたことがありますね。
俳優の技術は、ひとつの道を極めていくというより、毎回毎回まっさらにして、まったく新しいものを自分の器のなかに入れて、それをアウトプットする。プロセスとしてはまったく違うと思うんです。俳優業を極めていくという考え方もあるかもしれませんが、僕はどちらかというと、役を入れ替えるたびに自分を初期化して、新しいものを入れていく。
職人さんも現場が変われば自分の方法論どおりにはいかないことがあると思います。ただ、役としての一貫性ということでいうと、職人さんの生き方とは違うんじゃないかなと思います。
いまは自分が、現場を束ねる立場にいる。
— 近年は監督や企画プロデュースなど、現場を束ねる立場でも作品に関わっています。建設現場と重なるところはありますか?
建設の現場でいえば、現場監督ですよね。すべての職種を束ねて、完成に向けていく。いまは自分がその立場にいると思うんです。映像の現場にも、照明部、撮影部、制作部、車両部、俳優部といろんな職種があって、それをまとめてひとつの方向に導いていく。相手にしているのは、手にプロフェッショナルな技術を持った職人さんたちだということは、建設現場と変わりません。
そこで譲れないのは、自分が納得のいくものに対して妥協しないということ。時間や予算の制約はあるにせよ、自分が納得したものをつくり上げて、お客さんにお見せする。その矜持は、現場の職人さんに教わったことじゃないかなと思います。
— 『松重見聞録』などで、いまも職人さんの現場を訪ね続けています。ものづくりへの関心は、建設現場で働いていた頃とつながっていますか?
いま、いろんなものがAIに置き換えられるようになって、どうやって生きていくんだという時代ですよね。ただ、俳優も、舞台に行けば生の人間がやることで、それにかなうものはない。ものづくりも、職人さんが手でこしらえるものは、AIやほかの何かに置き換えることができないものなんです。日本は、世界に向けて自信を持っていい技術を持った国だと思っています。どこかでないがしろにしてきた部分があるなら、もっと評価されてほしいし、もっと幸せになってもらいたい。そういう意味で、職人さんという人たちに焦点を当てたいという思いでいますね。
安全靴は、選ぶものじゃなくて、
自分を合わせていくものだった。
— 今日は雨のなか、屋上で「ウィンジョブ® CP605 GTX BOA」を履いていただきました。当時の安全靴と比べて、いかがでしたか?
30年くらい前までは日々現場に出ていたので、履いている靴の仕様みたいなものは気にして生きていたんですけど、ここ30年は軟弱に生きてきたものですから(笑)、昔の記憶を呼び起こすのはなかなか難しくて。ただ、ワーキングシューズの時代の流れは明らかに感じました。いまの人たちが快適に働く環境を支えているのは、絶対に靴だと思います。そこに関しては、すごいなと。
僕らの時代にゴアテックスなんてありませんでしたし、安全靴といえば、窮屈で、硬くて、ムレて。しかも「一種類しかない」という記憶なんですよ。どれかを選ぶというより、安全靴というものを自分にどう合わせていくか。それしかなかった。今はいろんなタイプがあって、それでいてちゃんと足先も守ってくれる。
— 先芯は鉄から樹脂製になり、ダイヤルひとつでフィット感も調整できます。今は靴のほうを足に合わせられるようになりました。
鉄製の先芯が入っている、入っていないというのは大きな違いですよね。樹脂製でここまで軽くなっているのかと驚きました。ダイヤルで締めるBOAというのも初めてです。靴紐では無いので、どこかに引っかかりづらいですしね。
— 屋上は足元が滑りやすい場所もありました。
高いところに登る人たちにとって、靴底がどれだけグリップしてくれるかは切実なんです。今日、雨の日にちょっと試させてもらっただけでも、不安がなかった。そこはすごく進化していると感じました。逆に、雨が降って足元が悪い状況でこの靴を履くというリアリティは出せたんじゃないかなと思います。買おうと思っている人や興味のある人が、臨場感を持って写真を見てもらえればいいですね。
— 改めて振り返って、建設現場で過ごした日々はどんな時間でしたか。
やっている時は、お金もないし、大変なんですよ。暑いし、寒いし。いま「あの生活に戻れ」と言われたら、とんでもない、無理です(笑)。ただ、本当にいい経験をさせてもらったし、あの記憶は消えることがないだろうと思います。
俳優だけじゃなく、監督や企画プロデュースという立場で、いろんな職業、いろんな職人を見渡せるようになれたのは、あの経験があったからじゃないかなと思うんです。
1963年1月19日生まれ。福岡県出身。
1986年に蜷川スタジオに入団。1992年、映画『地獄の警備員』で主演を務め、以降、数多くの映画・ドラマで唯一無二の存在感を放つ。2012年に始まった『孤独のグルメ』シリーズ(テレビ東京)では井之頭五郎役を務め、2025年公開の『劇映画 孤独のグルメ』では主演に加えて監督・脚本も手がけた。
10月3日からPrime Videoで独占配信中のドラマ『おいしいのつくりかた』では、企画プロデュース・脚本・監督を務める。